ブラタモリの天橋立編で、舟屋を見てタモリさんが「マイ桟橋!」と喜んでいらっしゃった場面から、私も東南アジアで暮らした地域の「マイ桟橋」と「マイ浜辺」を思い出して、一瞬にして気持ちが海のそばになりました。
小さな漁村では、舟は2〜3人から数人乗れば満員になるような小さなエンジンでアウトリガーがついた漁船が一般的だったので、桟橋に横付けにするのではなく砂浜に乗り上げるのが一般的でした。
漁師の人たちの家は海のそばというより、海の上にまで張り出すように建てられていて、海の上に板で作られた通路が家と家を結んでいました。
日本の舟屋とも少し形態が違うのですが、家の中にいてもいつも小さな波の音が下から聞こえてくる、なんとも贅沢な場所でした。
今思うと、あの地域は台風もないし、日本のような夕方になると水辺で風が強くなるという変化も少なかったので、こういう建て方ができたのでしょうか。
ちょっと遠出の散歩でもできるだけ漁港や漁村のそばを歩く計画を入れているのですが、あの波の音や、船と船がかすり合う音など、世界中同じで幸せな気分になりますね。
*養殖場らしい場所が拡大していた*
「マイ桟橋」から、1990年代初頭に暮らした懐かしい東南アジアのある地域の海岸線に記憶が飛びました。
最近はどんな感じだろうと、Macの地図を航空写真にして見てみました。
あの海辺に建てられた東屋でぼーっと波の音を聴いていた場所はどうなっているでしょうか。
航空写真で見る限り、やはり海岸線は森林に囲まれてそれほど30年前とは変わらなそうでした。
大きな湾になっている地域なので、対岸はどうだろうと航空写真を追ってみました。
そこには時々泊まらせてもらった、小さな漁村がいくつかあります。
あの頃、日本向けのエビ養殖場が造られ始めた地域です。
「東京ドーム1個分」どころではない大きな養殖場らしき場所が、あちこちの沿岸に見えました。
社会の現実の問題には重層的にものごとをとらえることが大事 なのですが、ちょっとこれはショックでした。
いえ、もう20年ほどその地域の定点観測から遠ざかっていますから、20年30年と経つと問題点も解決策も変化していきます。航空写真だけで何かを思い込んではいけませんね。
正義感にも扇動されず、事実とは何かを考えることが大事ですからね。
久しぶりにこの地域を訪ねたくなってみました。
ところが、現在は最も厳しい渡航中止勧告が出ていました。
あの90年代と同じ内戦状態が続いているようです。
「10年ひとむかし」まとめはこちら。