行間を読む 104 エスカレーターに必要な身体能力

テレビのコマーシャルはシュールな世界ですが、それだけ現実の世界には毎日不安なことがあるからだろうと思います。

中年ぐらいになると膝や腰への身体の不調が出てきますね。本当に「腰」は体の「要(かなめ)」だと実感しました。

最近では足首に対して、よくもここまで体を支えてきてくれたものだとそのつくりや維持に無頓着できていたことを感じています。

 

抵抗のないように泳ぐために大事なので、足首の柔軟性は維持してきているのですが、それでも筋力や瞬発力など何か衰えてきているなと感じています。

 

それを日常生活で感じるのが、エスカレーターに乗る時です。

まず乗った後に、エスカレーター自体の動きに微妙に同調できていなくて、ふらりとぐらつくような感覚があります。

あ、こういう時にバランスを崩すのだなとヒヤリとするような。

10年ほど前のエスカレーターへの一歩が踏み出せなくなった母の姿を思い出しています。

 

エスカレーターに乗るための身体能力*

 

最近は、幼児ぐらいの子どもたちがエスカレーターの前で怖がっている状況を目にすることがないのですが、生まれた頃から当たり前のように乗り方を知っているからでしょうか。

スマホとかゲーム機器をサクサクと操作している幼児と同じで。

 

私には、あの動いているベルト状のものに乗るために、緊張し、怖かった記憶がどこかに残っています。おそらく1960年代初頭、都内にもまだエスカレーターがデパートなど限られた場所にしかなかった頃です。

それから半世紀以上、当たり前のようにエスカレーターに乗り、見上げるような長さのエスカレーターも乗り慣れました。

四方八方からくる雑踏から、エスカレーターを目指し、人の流れを滞らせないようにしながらエスカレーターに乗り、降りた後もスピードを落とさずに歩き切る。

なんだかすごい社会の中での身体能力の発達だと思い返しています。

 

Wikipediaエスカレーターの歴史を読み返していたら、こんな箇所がありました。

Piat社は1898年11月16日、段のないエスカレーターをハロッズナイツブリッジ店に設置したが、同社は百貨店側に特許権を引き渡してしまった。Bill LancasterのThe Department Store:a Social Historyによれば、「(初めてエスカレーターを)体験した客はそれによってへたり込み、店員が配った気付け薬とコニャックでやっと元気を取り戻した」という。

現在の階段式ではなくベルトコンベヤーのようなものだったようなので状況は異なりますが、120年前の人にとっては、「動く階段」に乗る身体能力はなくへたり込むようなものだったという話に、幼児の頃のあの一歩を踏み出す緊張感が重なりました。

 

ちなみに「動詞の"escalete"は1922年に登場した新語」だそうで、現在当たり前のようにエスカレーターに乗り降りしている動きは、一世紀前からは想像がつかなかったのかもしれませんね。

 

エスカレーターというと、最近では歩行禁止や弱者への配慮という話になるのですが、むしろ私はいつまであの機械に安全に自分が乗れるかということが気になり始めています。

運転技術と身体の反応速度が落ちてきたら免許返納するとか自転車をやめると同じような、自分の体の変化を意識して備えることが必要なことの一つだと、足首のふわりとした感覚から考えています。

 

 

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