事実とは何か 80 2回目の緊急事態宣言と日常生活

ようやく明日、2回目の緊急事態宣言が解除になります。

さすがに年末ごろから発熱者も身の回りにではじめ、今度こそ院内感染をどう予防したらよいか、搬送システムはどうなるのか、スタッフ自身あるいは家族が感染者・濃厚感染者になった場合の診療はどうなるのかが一斉に現実問題になり、常に最悪のことばかり考える日々でした。

 

最悪のというのは、今まで適切な医療につなげられていた余裕が全くなくなり、お母さんや赤ちゃんの死亡率増加や後遺症を残すような対応の遅れです。

 

周産期医療ネットワークシステムが整備されたとはいえ、分娩施設が激減し、集約化されていったこの20年ほどですから、どこか一施設が診療休止になったらどこがそれを受け入れられるのか、ほんと、考えたくない事態です。

さらにこの20年30年で医療は高度化しているのに、医師も看護スタッフもそれに見合った人員ではない上に非常勤のスタッフも増えたので、誰か一人が休むとにっちもさっちもいかない現場のぎりぎり感があります。

そして、資格を持っていればすぐに即戦力になるでしょぐらいの認識を持った人がこんな緊急時に政治を動かす怖さもありました。

 

なんとか、あの冬場の恐ろしさを社会全体で乗り切ったという安堵感があります。

 

 

*社会も変化している*

 

でもやはり、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」なのですね。この2回目の緊急事態宣言が無駄だったかのような不満をいう声をテレビなどで耳にすることが増えました。

むしろ街頭インタビューで、「まだまだ自粛をしっかりしたい」「もう少し延長してもよかったのではないか」という声があったことに安心しました。

 

外ではほぼマスク姿の人ばかりですし、この一年間、ほんとうにどこに行っても人出が少なくなりました。

レストランやカフェをのぞいても、食べるとき以外にマスクをつけている人もけっこういます。

入院されている方も、あの呼吸が苦しいお産の時にもみなさん自主的にマスクをしてくださり、厳しい面会制限も受け入れてくださっています。

制限の多い中で、音楽とか芸術とかあるいはスポーツなど、工夫しながら再開されて、やはり生活に必要だったのだと痛感しました。

そしてあれだけ物がなくなっても、大混乱にならずになんとか乗り切りました。

落ち着いた社会だと思いました。

 

1年前には想像もつかなかった世界ですね。

 

矢面に立たされている専門会議や政府の方々や、自治体の方々の忍耐強い説明には頭が下がります。

もしこいう時に怒りや感情に任せて発言されるのを聞いたら、きっと社会は混乱したことでしょう。いつも静かに、淡々と会見をしてくださったことだけでも、考え方やイデオロギー、価値観の違いを超えて信頼感を持てます。

たしかに1回目に比べると漠然とした緊急事態宣言でしたが、社会全体でやはりよりよい対策方法を選択し、乗り越えてきた結果だろうなと私には見えました。

 

今はまだまだ「新型コロナに感染させない、広げない」が、社会の中の優先順位で最も高いことではないかと思います。

 

ただ、あと少しというところで、なかなか感染者数が減らないのは、やはり根本的なところで惜しいなあという行動があるのかもしれませんね。

ここは長期戦になりそうな予感。

日常生活のどこを見直すと、感染症にも強くなれるのでしょうか。

 

 

「事実とは何か」まとめはこちら

新型コロナウイルス関連の記事はこちら