客観的のあれこれ 8 危険と大丈夫の差

電車通勤歴も30年ほどになり、通勤途上の風景、この場合は文化的な風景とでもいうのでしょうか、人の行動の変化をいろいろと感じています。

 

新しい何かが広がると、その危険性が増すような行動が増えることもその一つですね。

ずっと前からあったような気がしてしまう夢のような世界ですが、10年ほど前は今ほど「ながらスマホ」の人は少なかったのも当然ですね。

最近では、追い越しざまにちらりと目に入るのは、スマホでテレビやゲームに集中しながら歩いている人が増えたことです。階段を上り下りしながらも見続けています。

しかもイヤホンが耳に突き刺されていますから、おそらくかなり周囲とは断絶された世界かと想像しています。

 

どうぞコケませんようにと思いながら、でも周りのこととも見ずに歩いている姿スマートフォンの操作はやめてと注意のアナウンスが耳に入らない姿にちょっとイライラしながら追い越します。

 

自分がコケたり、周りに戸惑いや危害を与える可能性とかは感じないのかなと、ちょっと不思議です。

きっと世の中にはこれで何か失敗した人もいるのだと思いますが、なかなかその教訓が生かされていないのかもしれませんね。

 

10年前に比べると大きな荷物を持って歩く人が増えた印象です。

バックパックキャリーカートを持って歩く人の風景も、もう日常になりました。

電車内ではバックパックを前に抱える人も増えたのですが、相変わらず背負ったまま行動する人もいます。

電車内やエスカレーターで、このバックパックで押し飛ばされることの頻度が増えました。

だいたい週に1〜2回は遭遇します。こういうときにも足首の感覚の変化か、ちょっと当たっただけで吹き飛ばされそうになることがあります。

私に当たった人は、きっと人の靴を踏んだことにも気づかないのと同じかもしれませんね。

 

先日はとうとう、エスカレーターでキャリーバックから手を離しっぱなしで乗っている人を見ました。

エスカレーターの将棋倒しの事故の原因で、手を離していたためにキャリーバッグが転げ落ちた動画を観た記憶があります。

ですからキャリーバックを持って乗る人のそばにはできるだけ近づかないか、手でちゃんと持っているか気になっています。

ほんとうに手を離して乗る人がいるのだと驚きでした。

 

危険な話は意識していれば耳に入ってくると思うのですが、この危険と大丈夫の差はどこからくるのか、それが変わるのはどういう状況なのか、人の行動を観察する毎日です。

 

 

「客観的のあれこれ」まとめはこちら

失敗とかリスクの記事のまとめはこちら