明治用水記念館を出ると、目のまえに大池公園があります。
地図を見た時から、おそらくため池を利用した公園だろうと思っていた通りでした。
実際に訪ねると、周囲を木や草花で覆われた遊歩道があり、仏像がいくつも並び、なんだかほっとするような美しい公園でした。
明治用水ができる前は水に乏しい台地だったことを考えると、今の安城の風景はまるで砂漠にできたオアシスのようですね。
明治用水記念館を出たあとは、外の風景が全く違うものに感じました。
この大池公園について、「安城生涯まちづくり企画人」というサイトに説明がありました。
この池は、1931(昭和6)年に干ばつ対策に掘られて、掘り出した土は紡績工場を誘致するために使われました。池の面積は1.5haほどですが、20haほどの工場用地を埋めて造成することができました。その後、防災上の必要性から2006(平成16)年に洪水の貯水池として整備され大池公園としても市民の憩いの場となっています。池の中にはカメや鯉、鮒などがおり釣りを楽しむ人や散歩をする人が訪れます。池の周りを一周すると四国88カ所霊場巡りができるようにお寺の名前と仏さまが並べています。
干ばつ対策のために掘られ、さらにその土が明治用水沿いにあるクラボウ安城工場の用地造成に使われ、そして現代では洪水調整の池として利用されながら、憩いの場にもなっているのですね。
隣接した大平寺についても説明があり、1917(大正6)年ごろから副業として養鶏業が盛んになり、1941(昭和16)年に鶏霊塔が境内に建てられたと書かれています。
*矢作川右岸から左岸へ*
新幹線で矢作川を越えて三河安城のあたりを通過するときには、ほとんど段丘らしい高低差を感じたことがありませんでした。
地図で見ると大きな矢作川に近いというのに、そのあたりは水を得られずため池にたよるしかない碧海台地であったということを確認したくなりました。
JR安城駅から東海道本線に乗って、矢作川の対岸へ向かいました。
もうじき矢作川が近づくというのに、西安城駅を過ぎるまで変わらない平地が続いています。しばらくすると、鹿乗川という小さな川の手前で河岸段丘らしい下り坂が見え、そこから矢作川の堤防まで田畑が広がりました。
車窓から後ろを振り返って見ましたが、想像していたような「台地」という高さとも違いましたし、やはり新幹線で通過するときに気づかないぐらいの高低差に感じました。
むしろ、対岸の岡崎の方が高い場所があるように見えました。
*薪割り以上の運動になりそうな上り坂*
JR岡崎駅に到着すると、遠景では河岸段丘に見えた市内も、建物でその高低差はよくわかりません。
街の中を歩いてみることにしました。
県道483号という広い道路がまっすぐ南北に通っています。1962年までは、名鉄岡崎市内線という路面電車が通っていたそうです。うらやましいですね。
ずっと岡崎を訪ねたいと思っていた理由の一つに、あの助産雑誌でよく取り上げられ、助産所を開くための研修先として助産師会が勧めていた医院があったからです。
自然なお産のための体づくりとして、古民家に滞在して妊婦さんに薪割りやスクワットを勧めていることが話題になっていたのはだいぶ前ですが、このあたりの周産期ネットワークはどんな感じなのだろう、そして古民家のある地域ははどんな場所なのだろうと気になっていました。
目指すその場所は、県道483号線から東へ一本入ったところにあります。
駅からすぐそばの住宅地にあることも予想外でしたが、角を曲がった先にあったのは見上げるような矢作川の河岸段丘でした。
その坂の上にありました。
この道から先が段丘の上のようです。たしかに、地図でみてもここからはため池が散在しています。
その坂を上り下りするだけで、相当な運動量になりそうでした。
地図でみただけではわからない、矢作川両岸の高低差をこの目で確認できました。
岡崎から愛知環状鉄道線に乗って、いよいよ明治用水の取水口へと向かいます。
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