帰宅してもう一度地図を見直すと、岡崎駅の西側の地名が「羽根西」で、もしかしたら水辺に近くても比較的、水害に強くて人が住める場所だったのかと想像しました。
ここから愛知環状鉄道線に乗り換えて、明治用水取水口に向かいます。
最初は、矢作川左岸沿いに走っています。高架化された路線なので、遠くまで一望できました。
岡崎駅を出てすぐの「六名(むつな)駅」を過ぎると、矢作川の堤防の内側にもうひとつ堤防があり、その間に畑が広がっていたことが印象に残りました。堤防ができてから、新しく農地に利用されたのかと想像したのですが、Wikipediaには「8世紀中頃に額田八郷の一つとして六名八郷ができた」とありました。
矢作川支流の乙川を渡ると中岡崎駅で、八丁味噌資料館や岡崎城のある岡崎公園があります。ここもいつか訪ねようと計画ノートに書いてあるのですが、今回は水源町を回るために残念ながら通過です。
北岡崎駅を通過すると、パイプだらけの大きな工場が見えました。「奇抜な」という印象でしたが、1966年に造られた日本エステルの工場でした。実際に見ると、Wikipediaの写真よりももっとパイプだらけの工場が広がっています。
次々と変わる沿線の風景に散歩のメモが追いついていきません。
一瞬、遠くに雪山が少しだけ見えました。矢作川上流の岐阜や長野県との県境のあたりでしょうか。ほんと、山の名前を知る手段がないことが残念ですね。
大門駅を過ぎると、一旦、矢作川を越え、今度は右岸側からの風景になります。
列車は高台の端を走っているようで、あの利根川に削られた崖のような群馬総社からの風景に似ています。
このあたりから、黒い壁のちょっとスタイリッシュな工場や黒い瓦の家が増え始めました。
永覚(えかく)駅の手前の高台に、トヨタの工場が見え始めました。いよいよ「城下町」が近づきます。
永覚駅のすぐ向こうに東名高速道路が通っています。1960〜70年代、東名・名神高速道路を一昼夜かけて倉敷へ行った時に、ここも通過していたのですね。あの時は夜中だったので眠っていたのですけれど、当時はどんな風景だったのでしょう。
東名高速を越えると、遠くに大きな街が見え始め、三河豊田駅が近づいてきました。
大きな建物のそばにあるその駅に降り立ったのは私一人だけで、案外とこじんまりとした駅でした。
Wikipediaの三河豊田駅には「トヨタ本社に最も近い駅で、朝のラッシュ時は同社の通勤客で混雑する」とあり、一日平均乗降者数は2018年で「14,998人」のようです。
ここから2kmほどのところに矢作川があり、明治用水の取水口があります。
ここを歩くために他の計画は見送って、今回はゆっくりと時間をとったのでした。
いざ、水源公園と取水口に向かいます。
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