明治用水を歩くの中で「子どものころからこの三河安城あたりを通過する時には」と書いたのですが、三河安城駅の「歴史」を読んで、愕然としました。
私が子どもの頃にはまだ、三河安城という駅がなかったようです。
請願駅として誕生したため、総事業費約137億円は地元が負担した。このうち、愛知県の負担が約30%、安城市が約50%、周辺市町村が約8%、民間寄付等が約12%を占めている。
1988年(昭和63年)3月13日、新富士駅・掛川駅・新尾道駅・東広島駅とともに東海道・山陽新幹線の新駅として開業した。
1974年(昭和49年)11月16日:東海道新幹線駅新設期成同盟会を結成
1975年か76年ごろに新幹線に乗って一人で岡山まで行った記憶があるのですが、あの時には新富士駅や掛川駅も、そして三河安城駅もまだなかったのですね。
豊橋から名古屋まで、停車駅がなかったことの記憶が全くありません。
そのあと、再び新幹線に乗ったのは1990年代はじめのころで、その時には当たり前のように「三河安城駅」を通過していたのでした。
本当に、記憶というのはなんと曖昧なことでしょうか。
それにしても、2003年にできた新幹線品川駅といい、すでに新幹線が走っている線路の周辺に新駅を建設するなんてすごいですね。今だったら見に行ったのに、当時は何も関心がなかったのが残念ですね。
*愛知環状鉄道線の歴史*
1990年代に名古屋から日進町のあたりに住む知人を訪ねた記憶があるのですが、名古屋からの放射状に伸びるたくさんの鉄道があることを知りましたが、そのさらに外側に環状線があることは気づきませんでした。今回初めて愛知環状鉄道線に乗った時に、武蔵野線のように高架線なので新しい鉄道だろうと思ったのでした。
ただ、不思議なのは、新上挙母(うわごろも)駅から新豊田駅、そして愛環梅坪駅の区間は、名鉄線もすぐそばを並走していて、同じように駅があることでした。
愛知環状鉄道線を読むと、最初は岡崎・多治見間の鉄道整備を求める岡多線期成同盟の運動があり、1970年にトヨタ工場からの貨物線として開業、その後国鉄として岡崎・新豊田駅まで旅客営業が始まったようです。あの不思議な外観の工場への原料輸送にも使われていたようです。
三河安城駅と愛知環状鉄道線、全く脈絡がない話なのですが、1970年代というのは同じ目標の実現に向かって結束する「期成同盟」による運動が多かったのだろうか、と私の記憶にはほとんど残っていない時代の雰囲気でした。
当たり前のようにあちこちの駅を通過しているのですが、それぞれの駅にもまた歴史ありですね。
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