米のあれこれ  23 外郎

今日のタイトル、読めないし、イメージもつかない漢字ですが、これで「ういろう」と読むことを初めて知りました。

 

2月3月に愛知県を訪ねた時の、自分へのお土産はういろうでした。

一口サイズのういろうのパックが目にとまり、日持ちが良さそうと思い買ってみたところ、なんだか懐かしい味にまた食べたくなって同じものを購入しました。

 

小さい頃にもういろうをお土産でいただいて、食べた記憶があります。

当時はまだ羊羹のような大きいサイズで、切り分けながら食べました。日持ちが悪そうなので、家族で一気に食べきった記憶とほんのりと甘いお餅のような不思議なお菓子の記憶が残っています。

80年代以降は都内のデパートなどでも見かけるようになったのですが、20代、30代の頃はもっとこってりした洋風の味を好んでいたので、買うこともありませんでした。

半世紀ぶりのういろうです。

 

久しぶりの外郎、ほんとうに美味しく感じて、2回目の遠出でもまた買ったのでした。

あまり個性のなさそうなお菓子と思っていましたが、だからこそこのほんのりした味が求め続けられてきたのでしょうか。

半世紀の間になくならなくて良かったと、大げさでなく思いました。

 

お米から作られたお菓子らしいということはわかっていても、それ以上、考えることもなくきました。

ということで、いつもながらのWikipediaを読んでみました。

ういろうは、典型的には米粉などの澱粉に砂糖と湯水を練り合わせ、型に注いで蒸籠で蒸して作る。穀粉には米粉うるち米、もち米)、小麦粉、ワラビ粉などが用いられ、砂糖には白砂糖、黒砂糖、などが用いられる。小豆あん、抹茶など、さまざまなものが加えられることも多い。室町時代の頃から存在する黒砂糖を用いた「黒糖ういろう」が本来の姿と考えられている。 

 

名古屋のういろうについての説明もありました。

 名古屋ういろうは他の地域のういろうとは異なり、うるち米からできる米粉を主原料として用いるのが一般的である。食感は餅のような弾力があり、庶民的な店では黒砂糖を使ったものも多くみられる。

名古屋ういろうの元祖は1659年(万治2年)創業の餅文総本店。小田原外郎家の方が歴史は古いが、先述した通りお菓子のういろうを一般に販売し始めたのは明治時代に入ってからである。そのためういろうを菓子として販売する業者としては餅文総本店が全国最古の老舗である。

 

もち米ではなく、うるち米から作られているのですね。それでもあれだけの粘り気が出るのが不思議です。

今では素朴に感じるお菓子ですが、その原料のお米を安定して得るとか、お菓子を作るために衛生的な水を得るとか、2回に分けて訪ねた地域の風景がいろいろと蘇ってきます。

 

もう一つ、名古屋のういろうのトリビアがありました。

青柳総本家1879年(明治12年創業)が製造販売する「青柳ういろう」は、日本一の販売量を誇る。砂糖(しろ)・黒砂糖 (くろ)・抹茶・小豆(上がり)・さくらのほか、さまざまな種類が楽しめる。「青柳」の屋号は徳川慶勝から贈られた。1931(昭和6年)に名古屋駅の構内とプラットホームでういろうの立ち売りを始めた。1964年(昭和39年)に東海道新幹線が開通した後は、青柳ういろうだけが全列車での車内販売を許されていたことから、名古屋ういろうが全国的に知られるようになった。

もしかすると、子どもの頃の列車内販売の記憶が、私にもどこかに残っているのかもしれませんね。

 

昭和43年に業界に先駆けてういろうのフィルム充填製法を開始、ういろうの包装技術を進化させる。ういろうの包装技術を進化させることで、出来たての風味を閉じ込めういろうの日持ちを伸ばすことに成功し、ういろうの土産需要に貢献した。昭和56年にはひとくちサイズのういろうを発売。

 

お土産のういろうを切って食べた記憶は、1968年以降のことのようです。

ひとくちサイズはもっと最近の需要なのかと思ったら、1981年にはもう発売されていたようです。 

これもまた、食品保存のための工夫と技術開発のおかげですね。

 

全国に広がる水田の風景から、いろいろなことが繋がっていきました。

今度はどこの地域のういろうをお土産にできるでしょうか。楽しみですね。

 

 

 

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