4月下旬、少し気温が上がった思ったら、久しぶりの大雨と激しい雷でした。
その音を聴いて、2回目の緊急事態宣言が終わった直後の3月下旬に雷電神社を訪ねた時の記録がまだだったと思い出しました。
雷電神社?
どこか遠出の散歩かと思われることでしょうが、新宿にあります。
4年前に玉川上水の暗渠部分と内藤新宿から半蔵門まで歩いた時に、やり残したままの宿題です。
京王線代田橋駅から新宿駅の近くまで、玉川上水は暗渠になったり水路が残されたりしながら遊歩道が続いています。
その遊歩道が終わったところは、甲州街道沿いに面したビルが長細く続く場所があります。一本南側に入った道を隔ててまたビルが建っているのですが、以前はなんでこんなに不思議な土地の使い方なのだろうと思っていた場所でした。
その近くまで遊歩道がある意味を知ってから、その延長上の道が玉川上水の暗渠部であり、この下に京王線が通っていることがようやくつながったのが、4年前です。
ではその先はどうやって、新宿御苑の「玉川上水内藤新宿分水路」まで玉川上水は流れていたのだろうと地図を眺めても、新宿駅の多数の線路や大きなビルに阻まれるように流れがわかりません。
東急ハンズの前の明治通りから東へそして北へと曲がる1本の道が目に入り、気になっていました。
いつか歩いてみようと思っていた場所を歩いてみました。
*明治通りと甲州街道を結ぶ、小さな路地*
明治通りは、この東急ハンズの前をすぎたところでぐいと北東へと曲がります。
都内の幹線道路がこのように屈曲するのですから、何か理由がありそうですね。
この北東へ曲がった少し先のコンビニから、今度は東へと曲がる小さな路地があります。
なんどもこの辺りを通っていたはずなのですが、その路地は初めてで、明治通りから少し下がって行くように見えます。
そして途中で、ほぼ直角に曲がる場所があって、またもう一度直角に曲がり、北東へと路地が続いています。天龍寺という大きなお寺の方が少しその道より高い場所にあるような気がしたのですが、道路をみると「東京都下水道」のマークが打ち込まれていました。
もしかすると、玉川上水かそこから分水された水が通っていたのでしょうか。
*雷電稲荷神社*
北東へ、甲州街道に向かって今度は少し上り坂のようになり、甲州街道に面したところに雷電神社があります。
昭和3年(1928年)に花園神社と合祀され当地へ移転したが、旧所在地(新宿4丁目)にもいつしか「雷電稲荷神社」が再建され存続、現在に至っている。雷電稲荷神社は花園神社が末社として管理している。
京王線の歴史を読むと、「新宿追分ー東八王子間の直通運転が開始されたのは1928年」とあり、この延伸のために雷電神社は引越しだったのかもしれませんね。
そして、戦前から甲州街道の上を線路が通っていた京王線は、1963年に現在の地下駅が完成して「1964年に初台駅まで地下化」とありますから、この時に玉川上水の下を利用して建設されたのでしょうか。
雷電稲荷神社には、水が湧き出る手水舎がありました。
玉川上水との関係はわからなかったのですが、以前はそばに水路があり、そこが現在は道になっているらしいことはわかりました。
「いつしか再建され」。
こんな事実をひとつ追うのにも、わからないことだらけですね。
それでも、雷電神社は水の神様のような気がして今日のタイトルにしました。
雷は水と関係が深いですしね。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。