気持ちの問題 65 ネジバナに元気をもらう

まだまだ絶賛絶対に都県境を超えない散歩を実施中で、行きたいところも次々とあるのですが、先日、私にしては珍しくちょっとエネルギー切れのようになった日がありました。

 

パソコンに向かってもなんだか文章が出てこない、外出のための身支度をしようと思ってもなんだか気が向かない、そんな日がありますね。

さらに、気持ちが向かないだけでなく、なんだか心がざわついてくる日がたまにあります。

 

何が原因なのかなと思い返してみましたが、このところの社会の様子がほんと出エジプト記の様相だなあと感じるからかもしれません。

ちょうど1年前にも現代の出エジプト記を書いていました。

不満や批判を言うことが問題なのではなく、あったことをなかったかのように思い込み、未曾有の事態に向かってそこから民を解放しようと責任をおった人たちの背中を後から撃つ。

そんな雰囲気に気が滅入り続けていて、ちょっと耐えきれなくなったのかもしれません。

 

1年前にはmRNAワクチンが開発されるなんて考えたこともなかったのに、実現しただけでなく予防効果が高いことも実証されました。

今までのようにいつまで耐えたらよいのかわからない見通しのたたない暗闇から、このワクチンが社会全体に行き渡るまでの辛抱でなんとかなるという、希望の光に照らされたような劇的な変化でした。

 

ですから、「何月までに国民の大半のワクチン接種が完了します」「それまでは、感染拡大となることは避けましょう」「その間、休業しなければならないとか減収したり失業する人には補償します」と明確になるだろうと思っていました。

ワクチン関連の情報を追っていけば、おのずとその見通しがたつのですけれど。

 

それなのに相変わらず、これまでよく乗り切ってきたことよりは不安やうまくいかない点ばかりをあげつらうとか、ワクチンへの忌避感をもたらすような反応とか、オリンピックの混乱とか、まるで十の災いを投げ合っている様相に、出エジプト記というのはいつの時代にも起こるのだと思いました。いえ、まだまだ漠然としかこの真意はわからないのですけれど。

あの東日本大震災の後の混乱にも、同じような気持ちになったことを思い出しました。

 

 

社会というのは、こういう不自由なものを手放したくない反応が必ずおこる。

何が、そういう反応を起こさせるのでしょう。

その闇の存在に、このところ気が滅入っていたのだと思います。

 

さて、タイトルのネジバナの季節です。

重い腰を上げて、ちょっと元気になりそうな場所へ出かけた帰りに見ました。

草地があるとネジバナがないか探したのですが、見つかりません。残念ですね。

バスが自宅に近づいて交差点で停止していたときに、ふとコンクリートの間から一本、すくっと咲いているのを見つけました。

おかげさまで遠いところまでまだよく見えるので、花の付き方が右巻きであることも見えました。

 

 今年初めてのネジバナです。

全然見つからなくてあきらめていたら、近くにこんな幸せがありました。

 

 

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