それまでの海岸線の風景から両側が小高い場所になり諫早駅に降りたのですが、干拓地に近い駅のイメージとは全く違って、まるで高原の駅についたのかと思いました。
地図では南と南南西に小高い場所が想像できる緑色の部分が描かれています。
それ以外は東の有明海側から西の大村湾までベルト状に平地が続いているようにイメージしていましたが、実際には三方がやや急峻な山肌でそこに家が建っていました。
*島原鉄道で古部へ*
地図を眺めていると、諫早駅から島原鉄道が水田地帯をぐるりと通っています。そして締め切り堤防の先の古部駅は、駅のすぐ目の前が海岸のようです。水田の風景を眺め、そしてここで有明海を眺めてみよう。これが2日目の最初の計画でした。
諫早駅を出るとしばらく本明(ほんみょう)川に沿って走り、高城址のある小高い場所のそばを通ると、もう平地のように市街地が広がり始めました。諫早駅は高原のような場所でしたが、それほど標高が高いわけでもなく海に近い場所だったようです。
右手は雲仙の山々がすぐ近くに迫り、左手には水田地帯が見えてきました。
6月下旬、田植えが終わったばかりかこれからという水田でした。
締切堤防の近くを過ぎると、ぐんと海岸線に線路が近づいて古部駅につきました。
目の前に有明海が広がっています。真っ青な空と海に、遠ざかっていく島原鉄道の黄色い車体が映えて、なんだか映画のシーンのようです。
目の前に小さな干潟があり、真っ白な鷺がそこにいました。
潮風と穏やかに寄せる波音。しばらくこの風景を独り占めしたのでした。
Wikipediaの「古部駅」によると、1912年(大正元年)に開業したそうですが、一世紀以上前もこの風景だったのかもしれませんね。
15分ほどで諫早駅方面に戻る列車が来て、それに乗りました。
*干拓の里と干拓資料館*
地図で見ると、締め切り堤防の内側にまっすぐに整備された中央干拓地があり、その内陸側には道路や水路がやや曲がった区域があり、諫早干拓事業以前にすでにあった干拓地だろうと想像しました。
そのあたりを何度か地図を拡大して眺めているうちに、「干拓資料館」があることに気づきました。
干拓の里駅からも、歩いていける距離のようです。
その干拓資料館がある小野島町のあたりは、集落内も道が蛇行していて昔からの地域のように見えます。そしてその西側の川内町に「海津見神社」を見つけました。
そこから北側は水田地帯で集落はありません。
この辺りで神社はここ一箇所しか見つからなかったので、もしかすると昔から現代への干拓地の境界線がわかるかもしれないと、読み方はよくわからなかったのですが、その「海津見」という名前からも想像しました。「わたつみ」と読むようです。
干拓の里駅から資料館、そして海津見神社のあたりを歩いて、一つ先の小野駅まで歩いてみようと計画しました。
干拓の里駅を降りるとまっすぐな道路で、右手はずっと水田で、左手は集落がありました。
用水路には水が滔々と流れ、水田から道に水が溢れている場所もあります。
用水路内には白い土が混ざって濁った水が流れていましたが、倉敷の祖父の水田を思い出させる水です。
それにしても、これだけの水がどこからくるのでしょう。
車がひっきりなしに通る道路ですが、用水路と田植えが終わったばかりの水田を眺めていると全く苦になりません。
あっという間に、干拓資料館に到着しました。
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