小野駅についたのは予定より早い11時半ごろで、諫早行きの列車にはまだ30分以上あります。
ここで「腹が減った」の音楽が頭の中に流れてきましたが、お店を探して食べる時間の余裕はありません。道路を隔てたところにスーパーがあるのが見えました。
信号待ちの時間もまどろっこしく感じるほど、お腹が減ってきました。ここで何か食べておかないと後は佐世保まで食べる時間がなさそうです。
この地域の皆さんが利用されているスーパーへ入ってみました。
新鮮な野菜や、あまりみたことのない魚や小さなエビなどがたくさん並んでいてついつい買いたくなりましたが、散歩の途中ですからね。
お惣菜コーナーに行ったら、美味しそうな鶏ご飯のおにぎりがありました。それを買って、無人駅のベンチに座り、目の前の水田と青い空を眺めながら食べました。
なんと贅沢な食事でしょうか。
また歩く元気が出ました。
*「干拓地の食べ物」*
諫早干拓資料館の展示で印象に残っていたのが、「干拓地の食べ物」というパネルです。
「干拓地の食べ物」
「・・・夏の田の手入れは苦しい仕事である。このころ干拓の海ではアゲマキがたくさんとれる。島(干拓地の畑)でとれるシマウリもおいしい。
昼食は、ブナ(南瓜)そうめんになることが多い。煮干しや塩くじらを出しに汁を多めにしてそうめんを入れる。ブナの甘みとそうめんの塩味がうまく調和して食べやすい。このころ高菜漬けやたくあんは、古くなってにおってくる。これはよく水洗いして油炒めにするとよろこんで食べる。・・・・」
これは、『長崎の食事』という本の一節です。ここ干拓地は肥沃な土地と豊かな干潟の海を持ち、魚介類や野菜なども豊富で、貧しくとも恵まれた食生活をすることができました。
そういえば干拓地を築くための技術的な話とか、どれだけ大変だったかというあたりは目にしても、「干拓地では何を食べていたのか」については初めて目にしました。
「当時、そこでは何を食べていたのだろう」
そういう生活の端々を知ることはあんがいと難しいですね。
このパネルの内容がいつ頃のことかはわからないのですが、古くなったたくあんを油で炒めたものは、私が子どもの頃に時々食卓に乗っていました。
あれもまた、母が育った倉敷の干拓地の食べ物だったのかもしれません。
半世紀前に比べたら、立ち寄ったスーパーの品揃えや食べ物の内容はどんな変化をしたのでしょう。
「食べるということ」まとめはこちら。