散歩をする 323 佐世保から相浦まで

もう2ヶ月も前のことになってしまったただひたすら川と海と干拓地を見る散歩も、ようやく3日目の記録に入りました。

 

前日に佐世保について驚いたのは、駅前にある大きなカテドラルが道路より高い場所に建てられていることでした。

そのあと山の田浄水場を訪ねた時にも、佐世保駅から佐世保中央駅のわずかの間に平地があるだけで起伏が激しい場所に家々が建っていました。

ホテルに入って窓を開けると目の前の半分は崖で、こうして山を削って街がつくられてきたのですね。

前日にはゆっくり歩けなかったので、もう少し佐世保の街を歩いてみたいと朝6時半にホテルを出ました。

 

国道35号線はすでに出勤の時間なのか、車がつらなっていました。

国道から一本路地に入ると家の裏はもう崖です。しばらく歩くと斎場がありましたが、ここも半分は崖に接しながら建てられていて、福石観音への参道がその崖の上側にありました。

その福石観音のそばに小さな川があり、佐世保湾へと流れているようです。その川の右岸側にはまた切り立つような場所があり、その上にも家が建っていて、石段を登っていく住民らしき人の姿がありました。

その健脚に圧倒されながらふと川をみると、海からの水が流れ込んできて水面が波立っているのが見えました。

海のそばに、崖を切り崩しながら佐世保という街がつくられてきたようです。

港の公園の空き地に、ネジバナを発見しました。なんだかいいことがありそうです。

しばらく静かな朝の海を眺めました。乗船場にはどこへ出勤する人たちでしょうか、列ができています。

 

日本各地、いろいろな出勤風景がありますね。それを見ることができるのも、散歩の醍醐味です。

 

*バスで相浦へ*

 

最初の計画では、松浦鉄道西九州線佐世保から伊万里まで行く予定でした。地図を眺めているうちに大学駅相浦駅の間に「大潟」という地名があり、干拓地のように見える場所が気になり出しました。「大潟」と聞くと八郎潟を思い出しますね。

Wikipedia相浦(あいのうら)の大潟町を読むと、やはり干拓地でした。

相浦町の南に位置し、大崎半島全体を占める。南東部の陸上自衛隊相浦駐屯地は江戸時代の干拓地。野鳥の観察地として名高い江楯池は大潟新田の灌漑溜池であった。

 

干拓地を見る散歩ですから、ぜひこのあたりを見てみたいと思って交通手段を探してみると、佐世保駅から相浦桟橋までのバスがあり、西九州線よりは海側を通ることがわかりました。

 

7時27分、佐世保駅を出発する西肥バスに乗りました。数分ほどで市街地をぬけると、山肌に沿った道をぐいぐいとバスが上り、佐世保湾を見渡す風景になりました。遠くに雲仙岳と思われる山が見えました。

カーブしながら続く道のそばには、家が崖ギリギリに建っています。墓地もまた崖っぷちでした。

眼下に造船所が見えました。

そういえば軍港の街佐世保なのに、横須賀や舞鶴とは違って昨日到着してから一艘だけ灰色の艦船をみただけで、米軍も海上自衛隊も市街地からはほとんどその存在を感じなかったのはなぜなのでしょう。

 

峠のような場所から下り坂になり、長坂に入りました。この南側は西海国立公園九十九島のようです。

 

しばらくすると平地になりました。

もうじき左側に大潟が見えるはずと目を凝らしていたのですが、一瞬川が見えただけで、そのまま左手はグラウンドで遮られてしまいました。右手には広い草地や畑が広がり、これも干拓地だったのだろうかと思っていると、また上り坂になり、相浦への山道に入りました。

佐世保からは高校生や通勤の人がたくさん乗っていましたが、ここで乗客は私一人になりました。

 

山道をまた下り始めると、相浦川がそばを流れるようになり、その先に漁港が見えました。

海岸の崖のそばにあるバスターミナルに降りると、目の前は穏やかな海です。

わずか30分ほどのバスの旅でしたが、小高い場所を越えるたびに別の世界に入るような不思議な時間でした。

自宅からおよそ1,200kmほどの所に来たのだと、感慨深いものがありました。

 

残念ながら大潟はみえませんでしたが、このあたりの海側の雰囲気がわかっただけでも満足しました。

 

 

 

 

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