水のあれこれ 194 吉井川

吉備の穴海 から、吉井川、旭川そして高梁川の沖積作用で岡山平野ができたことから、いつか3つの川の流域をあちこち歩いてみたいと思っています。

 

高梁川は上流から河口付近まで、だいぶ見ることができました。

今回の遠出では、旭川の下流を少し歩き、津山線の車窓から中流域の風景を見ることができました。

 

そして吉井川は、津山駅を出たあと少しだけ中流域を見ることができました。

 

いつも新幹線で岡山に入るとすぐに吉井川が見えるのですが、「岡山に戻ってきた」という喜びと、山の合間から穏やかな川が流れてくる風景がなんとも好きです。

この吉井川の川沿いを歩いてみたいと地図を何度も眺めているのですが、下流では万富(まんとみ)駅から和気(わけ)駅までは山陽本線西大寺駅から香登(かがと)駅までは赤穂線が近い区間があるので歩けそうです。

 

ところが和気駅のあたりから40kmほどでしょうか、津山までは車道しかなく、そして途中の街へ行く公共交通機関もなさそうです。こんな時には、運転免許証を持っているだけだったことが悔やまれますね。

 

行けないとなるとなおさら思いは募り、航空写真を見ながら風景を想像しています。

 

 

*「美作台地の清流を瀬戸内に伝える 自然あふれる 吉井川」*

 

国土交通省中国地方整備局のHPに、吉井川の説明がありました。小見出しに引用したのが、その一文です。

 

流域の地勢、気候上の特色

 吉井川は、「東の大川」と呼ばれた岡山県三大河川の一つであり、水源を中国山地三国山(標高1,252m)に発し、岡山県の東部を南北に貫通して児島湾に注ぐ幹川流路延長133km、流域面積2,110平方kmの一級河川です。

 吉井川下流部では、早くから文化が開け出雲地方と近畿を結ぶ交通の要所となり高瀬舟の利用とあいまって古くから栄えてきました。現在では岡山県南新産業都市に指定されて以来、農業県から工業県への飛躍に重要な役割を果たしているため今後ますます重要度が増してくると見込まれます。

 吉井川流域の気候は、全般に瀬戸内型気候帯に属しており、温暖で日照晴天が多く安定しているものの、古くから幾度となく洪水に襲われています。

 

Wikipedia吉井川の「水害」の年表があります。

1590年 水害により著名な刀工一派である備前長船派が壊滅

1621年 水害により津山周辺の川筋が南へ変わる

1673年5月 水害により堤防の決壊、端の流失が相次ぐ

1680年5月 水害により氾濫

1712年7月 増水。吉井にて増水位3.3m

1745年6月 水害により旭川とともに氾濫。死者2名、家屋流出200戸

1785年7月 増水による氾濫

1789年 増水による氾濫。邑久(おく)郡福井村長船町の堤防が決壊

1871年5月 増水により各地で氾濫。津山市では、河原町、伏見町、材木町が浸水。長船町では堤防が決壊して邑久郡一帯が浸水。

1912年7月10日 岡山県東北部で集中豪雨。雄川橋、永安橋が流失。

1934年9月20日 室戸台風による氾濫

1945年9月17日 枕崎台風による氾濫

1963年7月10日 英田(あいだ)郡、勝田郡一帯で集中豪雨による氾濫

1979年10月19日 台風20号により氾濫、死者・行方不明者4名

(地名のふりがなは引用者による)

 

江戸時代に災害の記録を残すのは、相当な被害があったからでしょうか。

「水害により津山周辺の川筋が南へ変わる」と書かれていますが、具体的にどのような状況だったのでしょう。

 

 

岡山の三大河川のうち、高梁川旭川は、途中の川沿いに鉄道が敷かれたのですが、吉井川中流に鉄道が敷かれなかったのはなぜでしょう。

どのような生活や歴史があったのか、知りたいことがどんどんと出てきました。

 

 

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