境界線のあれこれ 102 都県境を越えないことを自分に課す

以前は「都県境」というとどこかへ出かけて戻ってきた時ぐらいにしか意識しなかったのですが、散歩をするようになってからは都県境の川にかかっている橋の間隔が大きいとか洪水によって袂を分かった場所が川の両側に地名として残っているとか、境川を挟んで町田市と相模原市の「川向こうの飛び地」など、興味深く感じるようになりました。

 

でもまさか、その「都県境」が自分の行動制限の境界線になるとは、今までの人生で想像したこともありませんでした。

 

 

新型コロナウイルス感染拡大と都県境*

 

新型コロナウイルスの感染が広がり始めた頃は、「都県境を超えて通勤している人も多いし」「通勤の列車内とか仕事の方が、散歩で一人で歩き一人で食べることよりはよっぽど人と密接に関わるし」と、この「都県境」という表現をすんなりと受け止められた訳ではありませんでした。

当時はまだ、「指数関数的に」を初めて漠然と知った程度でしたが、それでも医療機関で働いてきた経験から感染症の対応についてはその方向性を納得できました。

 

1年が過ぎて、今年の3月頃にはこの感染症とどうやって生活するかが少し見えてきたように感じました。

3月には愛知用水と知多半島を訪ね、4月にはいよいよ佐賀のクリークをみにいこうと思っていたところ、4月12日からは蔓延防止措置、そして4月25日に3回目の緊急事態宣言が出たので遠出は中止しました。

 

むしろ逆手にとって「絶対に都県境を超えない散歩を計画する」ことを楽しんでしまえという感じで、徹底して散歩は都内にしてみました。

多摩川沿いの用水を訪ねることができました。

 

6月10日には専門家会合が「都内は4週連続人出増加、リバウンドに注意」と警告する状況でした。

この時期には遠出をするかだいぶ悩みましたが、九州の干拓地岡山へと、10日間のうちに実行しました。

 

6月下旬には期待したほど感染者数が減らずに300人台だったものが、翌週7月初旬には900人台になり、「病床は3週間余りで逼迫するおそれ」というニュースが出ました。

7月31日には4058人、そして8月13日には最多の5773人に達し、救急搬送や入院も受け入れ不可の状態になりました。

 

*都県境を超えないことを自分に課す*

 

1年半ほどの専門家の方々の予測や警告がとても正確で、このウイルスの変化やワクチン接種状況、あるいは社会のイベントや雰囲気などさまざまな要因から予測されていることを実感する毎日です。

 

 

私自身はリスク比較をしながら散歩を計画していたつもりでしたが、個人で気をつけることはもちろんですが、なかなかそれだけでは社会全体には制御できないのがこうした世界的な流行ですね。

 

第5波まで経験してもなお、「外を人が歩いているから」「列車や飛行機に乗っている人が増えたから」「だから、もう大丈夫そう」という雰囲気がリバウンドを作り出しているのだろうということが感じられました。

 

 

12年前のものですが「感染症と数理」を読むと、まるで現在のことについて書かれているかのようです。

感染症の人口レベルでの流行というのは、要約すればこれはポピュレーション・ダイナミクスの問題なわけです。つまり、感染した人口というものがどのように再生産されているのかということ、それを記述したい。ただし、これは非線形のプロセスで、感染した人がまだ感染をしていなくて感受性がある、感染する可能性のある人に出会うことによってうつす、そのようなプロセスです。

 

この感染のモデルというのは一般に非線形のモデルとして消費者・資源モデルというものと非常によく似ていて、ある意味で感受性の人口というのはリソースに相当するわけですね。感染者がそれに出会ってうつして、自分たちが同類を増やしていくということですね。だからリソースがなくなってしまうと流行はもちろん終わるわけです。だから、閉鎖集団であれば、何か1回の流行が起こっても最後はいずれはやむわけですね。だけれども、外側から燃料(感受性人口)を補充してやると、ずっと燃え続ける(流行がつづく)ことになりますね。そのようなのがエンデミックという状態です。

(強調は引用者による)

 

 

自分は大丈夫と思い込まずに、「都県境を超えない」ことを課す。

 

私にとって「都県境」はあくまでもイメージで、何か自分の行動に制限を課さないと、社会のなかの「外側からの燃料」を増やす雰囲気に加担しかねない。

そんな怖さからきていたのかもしれません。

 

 

 

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