散歩をする 336 境川の都県境を行ったり来たり

7月下旬、とうとう都内の感染者数が4000人台になり、第5波の先行きが見えない状況になり始めました。

こんな時にできるだけ都県境を越えないと自分に課していたことをあえて破るのもどうかと思いましたが、東京都と神奈川県の境を流れる川を歩くことにしました。

「絶対に」ではなく、「できるだけ」越えないですからね。

 

2019年に江ノ島の近くに河口がある境川を歩き、あの町田と相模原市あたりの飛び地で話題になる川の上流・中流も歩いて見たいとずっと思っていました。

 

町田駅から境川右岸(神奈川県側)を歩く*

 

町田駅を降りて、いつも小田急線の車窓から見ていた境川の遊歩道を目指しました。

駅から西へ少し歩くと、すでに川へ向かって下り坂になっています。

JR横浜線の下をくぐり、川に近い場所に広々とした森野団地がありました。1963年に建てられたようです。ここもまたコンクリートの防水堤のような役割があったのでしょうか。

 

しばらく歩くと、最初の橋があります。地図でみると、ここは川と橋の真ん中に都県境があるのですが、右岸に渡ると遊歩道の数mだけ東京都町田市のように表示されています。

150mほど神奈川県相模原市の遊歩道を北へ向かって歩くと、また25mほど東京都の遊歩道になっています。

旧河道の蛇行かどうかはわからないのですが、ところどころに半円形の小さな空き地がありました。

 

またしばらく神奈川県を歩くと、対岸に町田市役所があり、そこから数百mは右岸側へと大きく東京都が川を越えて弧を描くように広がっていました。

 

以前、この都県境の飛び地の話題があったのは、たしかごみ収集などが複雑だという話だったと記憶しています。確かに、実際にはどうしているのでしょうか。

 

町田市役所前からまた数百メートルぐらいは真っ直ぐな川が続き、都県境は川の真ん中のようです。

その先には右岸側に大きな森が見え、相模原市古淵野森公園がありました。

神奈川県側になる右岸側を歩いたのは、こちら側の方が小高い場所や森が多く、日陰があって涼しかったからでした。

 

*旧河道に沿って畑が増える*

 

古淵野森公園を過ぎたところでJR横浜線の下を再びくぐると、左岸側には1968年にできた公社境川住宅の敷地がしばらく続き、右岸側には緩やかに蛇行した川に沿って林と公園が続きます。

以前は遊水池的に水があふれていた場所かもしれません。

 

境川住宅が終わるあたりから、町田市立木曽境川小学校のあたりまで、地図では右岸側に大きく東京がでっぱった部分があり、住宅が立ち並んでいました。

航空写真に切り替えると、旧河道に沿って水路が残っているのか木が植えられている様子がわかります。

 

 JR横浜線は南西へと800mほど離れた場所を通り、ちょうど「古淵駅」と「淵野辺駅」の間です。

なぜその駅名なのか、相模川に関連しているのかと思っていたのですが、境川の「淵」だったのでしょうか。

 

*少しずつ傾斜のある流れに*

 

町田市立木曽中学校は川沿いの少し小高い場所にありました。

ここまでは川幅も広いゆったりした流れでしたが、遊歩道も少し上り坂になるとともに、川幅も少し狭まっていきました。

水はきれいで、このあたりから旧河道と思われる蛇行した部分に畑が見られるようになりました。

 

新中里橋のそばに「河畔林」の説明があり、そこからさらに川幅が狭くなりました。

 

厚木から福生へ向かうのでしょうか、上空を米軍機が飛んでいきました。

たしかこの辺りに米軍相模原補給廠があるはずと思い出して、地図を確認すると、この遊歩道から近いところでは100mほど西側にその敷地があるのですが、台地になっていて見えませんでした。

米軍がある場所は、「矢部新田」という地名のようです。どのような開拓の歴史があったのでしょうか。

 

畑の周囲の草刈りをしているのか、土と夏草の香りが漂ってきました。

ウグイスの鳴き声もしています。

この辺りも、都県境が左岸右岸を行ったり来たりしている場所で、もう何が何だかわからなくなってきました。

 

境川が直角に西へ曲がる常盤のあたりで護岸工事中で、もう少し歩く予定でしたがちょうど疲れてきたので、ここで散歩を切り上げることにしました。

遊歩道から住宅地の間の上り坂を歩いて、町田街道に出ましたが、この住宅街は東京都へでっぱっている相模原市でした。

 

ここからバスで多摩境駅に出て帰路につきましたが、多摩境駅がぐんと高い位置にあることに驚きました。

対岸は橋本駅の方向で平地が広がっています。これも境川が作り出した地形なのでしょうか。

 

かつては激しく蛇行しており、たびたび洪水を引き起こしたために河川改修が行われ。相模原市緑区橋本付近よりも下流では拡幅とともに流路の直線化が行われた。ところが、左岸の町田市と右岸の相模原市では旧流路にあわせて指定された市境(都県境)の調整作業がほとんど進まず、お互いに「川向こうの飛び地」を多く抱えている。

Wikipedia境川」より)

 

いつかまた、これよりさらに上流の都県境を行ったり来たり歩いてみたいと思います。

 

 

都県境を越えないことを自分に課すへのブックマークで、sett-upさんが「意外に身近。飛び地の「なぜ、そこにある?」を考える」という記事をご紹介くださいました。いろいろな飛び地の歴史があるのですね。ありがとうございます。

 

 

 

「散歩をする」まとめはこちら

新型コロナウイルス関連の記事のまとめはこちら

ごみについてのまとめはこちら