「ミズゼメ」と聞くと、世界のあちこちで現在も行われているであろう「水責め」のおどろおどろしい文字の方が思い浮かぶのですが、水攻めという言葉はあまり私の人生には馴染みのない言葉でした。
6月に訪ねた児島湾干拓資料室の岡山の干拓の年表の中で、秀吉の高松城水攻めの堤防作りの技術をヒントに大規模干拓の時代が始まったことが記されていました。
Wikipediaで検索すると、備中高松城の戦いに「忍城の戦い、太田城(紀伊国)の戦い、ととも日本三大水攻めのひとつ」と書かれていました。
ここでまさかあの古代蓮の行田市と、岡山の干拓地がつながるとは思いもしませんでした。
2018年に行田市を訪ねた時は、古代蓮のあとお城のあたりは素通りで見沼代用水と武蔵水路を見に行きました。
地図で久しぶりに行田市から北鴻巣付近を眺めていたら、新忍(しんおし)川と武蔵水路が並行しているあたりに石田堤史跡公園があり、そこが水攻めのために作られた堤防が残っている場所のようでした。
その水路に挟まれた場所は、堤根(つつみね)という地名でした。
干拓に用いられるようになった「水攻めの技術」どんなものなのでしょう。
散歩の計画ができました。
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