水のあれこれ 200 用水と悪水

この数年、自分の中での用水路から聞こえる水音の存在が大きくなり、あちこち探し求めるように歩いています。

美しい風景や水の音に惹かれていくうちに、水があるということは排水も必要であるという現実の面にようやく思い至りました。

大好きな用水路の風景にも排水路があることが、ほんの少し見えて来たところです。

 

*用水と悪水*

 

弥富市歴史民俗資料館の「やとみものしりブック」を読んでいたら、「用水と悪水」(p.22~23)という言葉がありました。

「悪水」、初めて耳にしました。

 弥富を含めた海部津島地域には昔から川と水路が発達していました。水路には用水と悪水の2種類があります。用水とは、田畑で農作物を育てたりするための水を、木曽川などの大きな川から引いてくる水路のことです。悪水とは、用水で用いられなかった水を川へ流す水路のことで、地面を少し掘れば水がしみ出すほどの低地にある弥富にはとても重要なものでした。

 江戸時代、用水には、小具足(こぐそく)用水と荷之上(にのうえ)・五之三(ごのさん)用水、鯏浦(うぐいうら)用水、前ケ須(まえがす)用水などがありました。小具足用水は筏川から平島(へいじま)で取水し、六条を経て竹田や押萩(おしはぎ)まで利用しました。これらの用水では、田に入れる水の量を調節するために、門を大きく開いたり閉めたりすることで、しばしば争いがおきました。そのため、新たに用水を造った地区もあります。また、海岸部は満潮時に筏川と鍋田川の浄水を取水して利用していました。

 こうして取水した用水は、農業だけでなく生活にも用いられました。田に水を引く時は、清流が勢いよく流れ込んでくるため、川底は透き通り泳ぐ魚もよく見えました。飲料水として利用する人もいました。

 悪水は、海岸部では潮の干潮を利用して自然に排水することができましたが、内陸部では新田開発が進むにつれて排水状況は次第に悪くなって行きました。

 

用水路から自分が生活する場所とはどんなところなのかを知ることができるなんて、うらやましいですね。

 

立田輪中人造堰樋門はてっきり、水を確保するための施設だと思って訪ねたのですが、この悪水のために造られたようです。

「立田輪中」、授業で習ったのか記憶にあります。

この辺りだったのかと地図を眺めてみましたが、「立田」という地名が見つかりません。

なんと、現在の愛知県安西市ですから、ここから8~10kmぐらい北の方でした。

 

そこからの悪水を流すための水路だったとは。

失敗だったとはいえ、いかに排水が大変だったのかという大事な記録だったのだと納得しました。

 

 

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