水のあれこれ 213 加古川水系と「であい」「水分かれ」

加古川のどの辺りを歩こうと地図を眺めていた時に、水分かれ街道よりも先に目に入ったのが、JR加古川線船町口駅の北にあるなんとも不思議な川合でした。

 

二つの川が真横から来て合流しているように見えます。船町という地名から、二つの方向からの物流の拠点だったのだろうかと想像しました。

いつかここを歩いてみたいと思いながら、その西側の川をたどるとそれが加古川の本流(佐治川)で、さらに上流の氷上町であちこちの支流が合流しています。その街に水分かれ街道があり、水分かれ資料館を見つけたのでした。

 

Wikipediaによると、船町口駅の近くの篠山川との合流地点は「であい」と呼ばれているそうです。

篠山川は加古川水系有数の規模を持つ支流で、佐知川と篠山川の合流点は、その水文上の重要性が民間にも認識されており、古くから「であい」と呼ばれてきた。「であい」までが上流域、それより下が中流域となる。この合流点が旧丹波国(上流)と旧播磨国(中下流)の分岐点ともなっている。

 

*「加古川水系は双頭の形状を持っている」*

 

地図で発見したその独特の川合の形について、Wikipediaに説明がありました。

篠山川源流から佐知川との合流点を経て加古川河口までの流路延長は、現在本流とされる部分の延長よりも長い。「合流点までの流路延長が、合流する河川より短くとも、合流する河川よりも流量が多ければ本流とする」という原則に従ったという建前だが、年間を通じて雨量が多く、流路延長と流量とが正比例するのが通例である日本列島の水系としては非常に珍しい。いずれにせよ、加古川水系が双頭の形状を持っている、といえる。

 

左右真横から流れて合流しているように見える場所は、川の大きさ的に「双頭の形状」と表現するような場所でもあったようです。

 

 

昨年訪ねた筑後川の花宗水門で知った水文ですが、河川の大きさひとつとってもこれほどに専門的な観察がなされていることを知らなさすぎました。

 

 

*「であい」を見るか、「水分かれ」を見るか*

 

最初は、加古川線船町口駅で下車してその「であい」を歩き、そして水分かれ資料館を訪ねるという計画にしたかったのですが、谷川駅で福知山線への乗り継ぎの本数が少なく、今回は「であい」を歩くのは諦めました。

淡山疎水・東播用水博物館を訪ねるのにタクシーを使ったのも、この水分かれ資料館を訪ねる時間を確保するためでした。

 

加古川駅を12時42分に出発した列車は、高校生の試験期間なのか超満員でした。最近の山手線でもあまりないような少し体を動かすこともためらわれる混雑ぶりで、なんとか最後尾に居場所をみつけ、ずっと景色を見ることにしました。

次の神野駅で結構下車しましたが、それでも混雑しています。その次が「厄神(やくじん)駅」で、「厄神」という名をつけた経緯も興味深いのですが、神と厄神が隣り合わせというのも不思議です。ここも歩いてみたかった場所ですが、今回は素通りです。

 

ここから加古川右岸側を列車が走ります。美しい水田地帯ですが、小野町駅のあたりまでずっと堤防で、加古川の流れは見えませんでした。

栗生駅のあたりでは、急に土が白っぽく見え始めました。倉敷や佐賀を思い出す色です。

ここでまた高校生がたくさん乗ってきましたが、誰も喋りません。静かな車内です。

 

水田や蔵、灰色と黒の混ざったような瓦屋根。ひき込まれるような水田地帯の風景です。

地図ではぐっと加古川に近づく場所ですが、ここも河川敷に竹やぶがあって川面が見えません。

あとでWikipediaを読んで、もしかするとこれが理由だったのかと思う箇所がありました。

中流域は一部急流が分布し、西脇市上比延町の急流は津万滝(つまたき)、加東市の急流は闘龍なだ(とうりゅうなだ)、姫滝と名付けられている。

 

一見、広々とした平地を緩やかに流れているように見えた中流域ですが、激しい流れの場所だったのかもしれません。

 

その「であい」の流れが近づいて、清流が流れているのが見えました。

悪石岩の山が近づき、列車が徐行しながら通過すると山あいに製紙工場がありました。14時10分、谷川駅に到着、福知山線の乗り継ぎまで36分ですが、少し寒くなったので待合室で過ごしました。

 

いよいよ水分かれです。

 

 

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