石畳の美しい街並みを見ながら坂道を下り行き当たりばったりに街の中を歩かせてもらったのですが、あちこちに家の前に流れる石積みの水路があります。
木の格子戸と水路、あの法隆寺駅南側の観光客が訪れるわけでもなさそうなのに、手入れが行き届いた街並みに似ていました。
再び揖保川の堤防沿いの道に出て、水神町の「水神社」に立ち寄って見ました。
御由緒はわかりませんでしたが、揖保川の下流を眺めるような位置にあります。
揖保川の水面を眺めながら1kmほど歩き、新大橋通りの手前にある日出バス停につきました。
ここから揖保川沿いに竜野駅まで行くコミュニティバスに乗る予定でしたが、結局、揖保乃糸を食べる場所が見つからなかったのでバスが来るまで1時間もあります。
空腹に耐えかねてコンビニのおにぎりを購入し、上流から下流への流れを一望できるバス停の椅子に座って揖保川を眺めながら食べました。
おにぎりで元気が出たら、もう少し歩けそうな気がしてきました。
歩けるだけ揖保川沿いを歩くことにしました。
少し下流の方に山陽自動車道が通っているのですが、航空写真では全く家がなくなる区間です。それでバスにしようと計画していたのですが、下校する高校生が自転車で通り過ぎていくので歩くことができました。
山陽自動車道は山が揖保川右岸側に迫った場所に通っていて、そこを越えるとまた集落と水田地帯が右岸に広がっていました。
集落へ入る道に「起工録」という石碑を見つけました。
揖保川横堰水害復旧工事により、1931年(昭和6年)に「揖保川横堰を創設」し1932年(昭和7年)に「縣道下暗渠改修」を行ったことが記されていました。
国土交通省姫路河川国道事務所の「揖保川の歴史」にもこの昭和初期の水害については書かれていませんでしたが、Wikipediaの揖保川に「揖保川の下流は古く「宇頭川」(うずがわ)とも呼ばれる。激流でよく暴れた川で、渦が多数発生したから「渦」の当て字とされる」とあります。
次第に日が落ち始め、そして歩き疲れてきたので野田橋バス停でコミュニティバスを待ち、ぐるぐると街の中を通ってJR山陽本線竜野駅に到着しました。
竜野駅の少し南側を山陽新幹線が通っています。その車窓から見えた美しく穏やかな揖保川のまさかの名前の由来でした。
*竜野と龍野、そしてたつの*
今回もまた呪文のようなタイトルですが、計画の段階で地図を眺めていた時に揖保川の右岸と左岸で「竜野」と「龍野」だったり、駅名には「竜」が使われ、自治体名はひらがなになるのがおもしろいなと思っていました。
竜野駅に駅名表記について書かれていました。
開業当時の駅名表記は「龍野」で、1958年(昭和33年)11月当時の当駅の駅名標も「龍野」と表記されていた。書体が丸ゴシック体であることから1954年(昭和29年)以降に書き替えられた物である。時期は不明だが、本竜野駅と共に表記が「龍野」から「竜野」に変わり、龍野市とは漢字が一致しなくなった。
そしてたつの市の「概要」に、「たつの」の由来が書かれていました。
自治体名は「たつの」であるが、駅名は「竜野」、歴史的固有地名は「龍野」である。『播磨国風土記』によれば、龍野の由来は野見宿禰が揖保郡(現・たつの市)で没した際、出雲から多くの人が来て、揖保川の石で墳墓を作るため野に立ち並んだという故事から「立野」と呼ばれ、「龍野」に変化したとされている。
(野見宿禰は「のみのすくね」)
揖保川の流れが「龍のよう」でついた名前かと思ったら、意表をつく由来でした。
そして2005年に市町村合併でひらがな表記になったようです。
街の名前にも歴史あり、ですね。
「境界線のあれこれ」まとめはこちら。