行間を読む 137 溶ければ水になるものを解かす

今年は雪の予報が多い年ですね。1月6日にはにわか雪の予報が大雪になり、次に2月10日の夕方には予報どおり雪が降るぐらいにぐんぐんと気温が下がったのですが、拍子抜けするほど雪混じりの雨だけで済みました。

気象予報士さんが雪の予報は難しいとおっしゃっていたのですが、ほかの雨や風などの驚くほど正確な予報と比べると、なるほど雪の予報は難しいのかと知りました。

 

あの盛岡市でみた雪置場は、今頃どんな風景でしょうか。

 

私が住むところは雪が少なくてすんでいるのですが、日本の国土の半分は豪雪地帯で「溶ければ水になるもの」の予測と対応に、昼も夜も誰かが対応してくださっていることやその歴史をあまりに知らないと痛感しています。

 

*融雪剤はいつ頃から使われるようになったのか*

 

2月10日の雪に備えて、私が利用する駅ではすでにホームに白い融雪剤が撒かれていました。結局、雪を解かすことなく雨と混じり、ホームの色が少し変色しています。

駅と踏み切りに近いところに住んで30年ほどになりますが、いつ頃からこの融雪剤を見かけるようになったのだろうと思い返しているのですが、すでに記憶は曖昧です。

 

今ほどホームに撒かれるようになったのは、案外最近のことではないかと思うのですがどうでしょう。

駅のそばの踏み切りを渡る時にホームの端のそばを通るのですが、踏み切りに撒くための融雪剤の袋がホームの下に積んであることに何年か前に気づきました。というのも、それ以前は雪をどけるだけだったので踏み切りで滑りそうになっていたのが、融雪剤のおかげで便利になったという印象が残ったからでした。

 

塩の流通の変化を思い返していたら、この融雪剤の歴史も知りたくなりました。

 

*「道路除雪の歴史」*

 

検索していると、国土交通省北陸地方整備局の「道路除雪の歴史」という年表を見つけました。

 

1940年代(昭和10年代)までは「人力除雪」ですが、1925年(大正14年)には「ブーム式除雪車で我が国初めての道路除雪実施(札幌)」とあり、「土工用機械除雪」の時代へと変化したようです。

印象に残る内容を書き出してみると、こんなことがあったようです。

1945年(昭和20) レーダーによる気象観測開始

1948年(昭和23) 公共事業として道路除雪が試しみられる(北海道)

          建設省発足

1950年(昭和25) 機械による道路除雪開始(青森県

          国産用モータグレーダ(小松、三菱)を除雪に使用

1952年(昭和27) 国産雪上車「ふぶき号」開発

1953年(昭和28) テレビによる天気予報開始(全国)

1958年(昭和33) スノータイヤ開発(トラック、バス用)

 

今と比較にならない降雪量の時代に、除雪機械が開発されても使用できる地域はまだまだ限られていたでしょうから、ほぼ人力の除雪の時代ですね。

 

1961年(昭和36) 消雪パイプ試験施工(新潟県長岡市)

          豪雪が災害の対象として認められる

          災害対策基本法制定

          除雪トラック(10t級)登場

          ロータリー除雪車(170ps級)登場

 

私が小学生の頃には除雪車は当たり前のようにあった気がしていたのですが、生まれた頃に登場したのですね。このあたりから災害に対する整備が進んできたようです。

 

1967年(昭和42)から1972年(昭和47)は「除雪用機械除雪」の時代、1972年から2003年(平成15年)は「除雪機械の自動化・メカトロ化」の時代へ、そして2004年(平成16年)からは「除雪コストの縮減化」の時代とまとめられていました。

 

 

*道路の凍結防止剤の使用は平成に入ってから*

 

道路に関しての年表なので鉄道などはまた異なるのかもしれませんが、初めて凍結防止剤について書かれていたのが平成元年でした。

1989年(平成元年) 湿式凍結防止剤散布車登場

 

Wikipedia融雪剤の「塩害」を読むと、雪を解かす融雪剤は雪を水にして混じって地面や地表の水に流れ込みますから、その塩害への配慮も大事なようです。

 

駅のホームで少しシミになったような融雪剤の跡にその歴史が気になったのですが、奥は深いですね。

 

 

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