水のあれこれ 226 神田川の始まり

都内の公園の中では最も歩いたことがある井の頭公園なので、神田川玉川上水のある地形やその流れもだいぶ頭に入りました。

2~3年前、地図を眺めていたら、井の頭池の南東側の端の近くからまっすぐ五日市街道まで「水門通り」があることに気づきました。

 

井の頭池から取水してその方向へと用水路でもあったのだろうかと思ったのですが、その辺りは谷津の高低差がある場所なので水を高い場所へと流すのは難しそうですし、武蔵境のあたりで玉川上水から分水した千川上水がその辺りの農地を潤していたはずなので、「水門」はなんだろうと気になりました。

 

検索しても出てこないので、まずは歩いてみようと井の頭公園を訪ねました。

井の頭池の端に小さなひょうたん池があり、その先に神田川が流れているのですが、そこから「水門通り」が北東に向かって始まっています。

何かその由来の説明板があるのかなと探したところ、それまでも何度も見ていたはずのひょうたん池から小川のように流れる神田川のそばに「神田川源流」とありました。

そして、神田川への水を堰き止めるのか、小さな水門があるらしいことが注意書きでわかりました。

 

今まで井の頭池神田川の水源とおおざっぱに考えていたのですが、延長「24.6km」の川の始まりはこの場所だったのだと知りました。「井の頭池からの流れ出し」と表現するのですね。

 

ゴボゴボと雑木林の中に水の音が響いて、小さな小さな川が始まっています。

それ以来、井の頭公園を訪ねると、この「源流」にかかる小さな石橋の上でしばし水の音に聞き入っています。

 

ここから両岸のさまざまな風景の変化で隅田川へと合流するのですが、江戸時代から現代まで治水が大変な川のようです。

神田川の治水事業

江戸時代からの普請にもかかわらず、都市河川となった現在も溢水の危険をはらんでいる。江戸時代にも洪水による橋の流出や水道施設の破壊は頻繁に発生していた。しかし戦後は流域の急激な都市開発に河川改修が追いつかず、保水や遊水の機能が低下していた。昭和33年(1958年)の狩野川台風による大水害は、城東の低地での水害に加えてそれまで認識されていなかった「山の手水害」を引き起こした。昭和61年、全国の総合治水対策が必要な17河川の1つに選定され、平成元年に協議会が発足、時間雨量50mmに対応する対策として段階的に分水路や貯水地などが建設された。現在神田川は流域の市街化率が全国でトップの97%(平成21年ど現在)にも達し、対策が難しい河川になっているが、対策は一応の効果を上げてきた。しかし、平成17年9月の台風14号により活発化した前線から観測史上最多となる時間雨量100mmを超える降雨災害が発生し、特に支流の妙正寺川は護岸が破壊されるほどの被害が出た。平成19年8月、東京都は「東京都豪雨対策基本方針」を策定し、時間雨量75mmまでの対応強化を目標として整備が続けられている。(Wikipedia神田川」)

 

ところで、あの小さな水門の機能は何のでしょう。

そして「水門通り」の由来は何か、またわからないことが増えました。

 

 

 

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