事実とは何か 87 非常時の分析は専門家に

本格的な第6波がくる直前に、私自身は3回目のワクチンを接種しました。

 

年末にはすでに住んでいる自治体からは接種券が届いていましたが、私の場合の医療従事者枠は1回目と同じく職場がある地域の医師会による接種だろうと思っていました。

なかなか3回目の話がなく、ある日今回は各自で予約して接種するらしいと知って、慌てて居住地での予約を取って接種しに行きました。

あぶない、あぶない、送られてきた接種券を危うく捨てるところでした。

 

*医療関係の情報が伝わりにくくなったような*

 

選挙が終わってから、こうした感染症対策の全体的な見通しや情報などが伝わりにくくなったような印象です。

以前だったら、ワクチンのスケジュールは質問に答える形で説明があってわかりやすかったのですけれど。

 

ちょうど感染者数が激減して凪のような時期と重なったせいだろうかと思っていたのですが、その後、第6波になっても、以前のような専門家会議や政府の新型コロナ対策担当の方々の姿がニュースから消えて、その見解を知る機会がバッタリとなくなってしまいました。

 

ニュースで切り取られた部分をたまに知る程度で、そこから会議録をたどると報道されている意味がちょっと違うのではないかと感じることもしばしばあります。

あるいは他の国の規制緩和の話や反マスクのデモの人たちを報道したり、今その情報が必要なのだろうかというニュースで社会の雰囲気がつくられている印象で、隔靴掻痒という感じですね。

 

*非常時の分析は専門家に*

 

さまざまな考えや価値観が混在する社会の中でも、未曾有の事態でもこの国の医療はぶれないという信頼感があるからこそ私自身はなんとか乗り越えてきたのですが、最近、急に糸が切れた凧のように新型コロナ関連の情報がわかりにくくなった印象です。

 

それでも、私の残りの人生で「未曾有の」という言葉は使わなくて済むかなと思っていたら、常任理事国のまさかの他国への侵略、民間人への攻撃で、未曾有の感染症拡大の非常時にさらに非常事態になりました。

 

状況を検索していたら、こんな意見がありました。

日本のテレビで違和感を覚えるのは、現状分析で"専門家"ばかりに頼っていることです。過去の経緯に詳しい教授らの知見には敬意を評しますが、現状を直接取材しているのは記者で、米欧メディアでは記者が分析するのが常です。日本ではメディアの怠慢だと思います。

 

取材と分析とは、全く専門性が異なるものだと認識していましたが。

戦争の状況分析と医療とは全く違うのですが、こういう意識が報道側のどこかにあるから、ある日突然、専門家会議の見解が伝わらなくなるのでしょうか。

 

医療の場合は症例報告が基礎にあり、さらに臨床の観察や症例報告だけではエビデンスレベルが低いという共通認識ができてきた時代だからこそ、専門家会議への信頼があるのかもしれません。

 

東日本大震災の頃に比べると非常時の「事実」の伝え方テレビの緊急・災害時の放送が格段に変化して、鳥瞰と虫瞰、俯瞰と仰瞰のバランスが取れた報道が多くなったのも、それぞれの専門家の方々と両輪の関係があるからなのだろうと思っていました。

 

「未曾有の事態」を経験したことで、私でも「この見解は信頼に値する」「この人はちょっと怪しいな」と見分けるポイントが見えてきました。

「未曾有の事態」とは正解もわからない状況なので、できるだけ正確に状況をとらえられるかどうかが大事ですからね。

 

むしろ、メディア側の価値観で分析した記事によって、不安が共鳴し合って、社会が思わぬ方向へ動くことが多いのではないかと思っていたので、非常時の分析は専門家の見解を知りたいものです。

専門性とは何かとなると、難しいのですけれど。

 

 

未曾有の事態というのは、社会のさまざまな姿が現れるものだと感じました。

 

 

 

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