供養塔のことを書いていたら、ずっと心の中に沈んでいたことをもう少し考えなければと思い出しました。
私が1980年代に東南アジアの国に暮らしていた頃はまだ戦後の反日感情が強い時期だったので、海外旅行が庶民の手に届くようになっても観光でその国を訪ねる人は少なく、商社など仕事関連の人が主でした。
そんな時に、日本人がその国を訪ねていることがニュースになることがありました。
遺骨収集に来られる方々です。
現地の住民の方々の気持ちを配慮しながら日系のシスターが対応していたことを、何かで読んだ記憶があります。
当時の私は家族を日本軍によって殺された方々の立場にしか立てなかったので、現地の人の収入からは想像のできないような飛行機代と滞在費をかけて、身内の遺体を探しに渡航することが理解できなかったのでした。
現地の人はそれをどう受け止めているのだろう、そのことだけが気になっていました。
1980年代後半から1990年代には日本でも海外旅行に気軽に行けるようになりましたが、母が誘っても頑として海外には出かけなかった父が、遺骨収集と慰霊に参加したことをだいぶあとになって知りました。
父が僧籍をとったのはそのためだったのかもしれませんが、今となっては確認することができません。
*厚生労働省の遺骨収集事業*
最近は、遺骨収集のニュースもあまり耳にしなくなりましたが、厚生労働省の「遺骨収集事業の概要」(令和3年5月)を読むと、現在も続いているようです。
厚生労働省が担う援護行政は、終戦に伴う引揚者対策に始まり、その後、戦傷病者及び戦没遺族等の援護などの問題に対応しつつ、種々の変遷を経て、今もなお、戦争によって残された問題の解決に取り組んでいます。その一環として先の大戦による戦没者の遺骨収集事業を国の責務として実施しています。
「戦没者遺骨の年度別収容状況」を見ると、2011年(平成23年度)でもまだ1年に2000柱近い遺骨を収容されていました。2016年ごろからは800柱ぐらいになり、2020年(令和2年度)では90柱と激減していますが、終わりが近づいたわけではないようです。
海外戦没者(硫黄島、沖縄を含む)は約240万人にのぼります。令和2年度末の時点で未収容の御遺骨約112万柱のうち、約30万柱が沈没した艦船の御遺骨で、約23万柱が中国等、相手国・地域の事情により収容困難な状況にあります。これらを除く約59万柱の御遺骨を中心に、海外公文書館から得られた情報や戦友等からの情報を元に、具体的な埋葬場所の所在地を推定し、現地調査や遺骨収集を推進してまいります。
私が東南アジアに暮らしていた頃から三十数年以上たった今も、なお同じ作業が続けられていたのでした。
大きな変化というと、平成15年度から身元特定のためのDNA鑑定が行われるようになったことのようです。
「戦没者遺骨のDNA鑑定人会議」において日本人ではない遺骨が収容された可能性が指摘されながら、適切な対応が行われてこなかったこと、それによって遺骨収集事業の信頼性が問われたことについては真摯に反省し、事業の見直しに取り組んでいるところです。
1940年代には想像もできない鑑定法の出現によって、「先の大戦」からはるかあとに生まれた世代が遺骨を正確に収集することに責任を負い続けている。
その禍根は何世代もつづくのですから、戦争というのは人間のおかす失敗の中でも最も悲惨なものかもしれません。
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