予定していなかった円筒分水工と分水路を見ることができ、そして三角形のスッとした天神山を背景に流れる佐波川の堤防沿いの美しい風景にまた歩く元気が出てきました。
せっかくここまできたのだから、計画の段階では「体力と気力が残っていたら行こう」と思っていた防府天満宮と佐波神社まで足を伸ばすことにしました。
防府天満宮まで天神山の山裾に水路があり、それを辿ることにしました。
取水堰からの水路が緩やかに蛇行しながら流れています。山側には古い住宅が並び、反対側には畑や比較的新しい時期の家々が続いています。
おそらく何世紀も生活の中で大切に使われてきたのだろうと思われる水路に、街路樹の新緑が映えて、開出のあたりの水田地帯と、この水路沿いを歩けただけでも防府を訪ねて良かったとしみじみ感じ入ったのでした。
*防府天満宮*
1kmほど歩くと暗渠になったあたりで、天神山の南端に建つ防府天満宮に登る坂道がありました。
息が切れそうな石段を登り切ると防府天満宮の境内で、防府市内を一望できる場所がありました。地図では平地のように見える防府市ですが、目の前にあの桑山があり海は見えません。
そのはるか向こうにまだ山があるように見えましたが、その間には干拓地と海があるはずですからあれは瀬戸内海に浮かぶ島々でしょうか。
防府天満宮、三大天満宮としては知っていましたが、実は正確な読み方を覚えていませんでした。今回、防府を訪ねる計画を立てて、「ほうふ」と濁らない読み方だとはっきり覚えました。
天満宮ですから学問の神様ですが、佐波川の旧河道はこの天神山の目の前を流れていたのではないかと地図から想像していたので、もしかしたら水の神様も担っていらっしゃるかもしれないと御由緒を探しましたが、やはり学問の神様のようです。
また急な石段を降りて、しばらく歩いたところに、「一等水準点(第1728号)」がありました。
ここに設置されている標石は、「水準点」といい標高が正確に求められています。
水準点は地盤沈下の調査や道路・下水道などなどの測量の基礎となるので、私たちの日常生活に深い関わりがあります。
水準点を大切にしましょう。
散歩をするようになって水準点や水準原点に目がいくようになりましたが、まだまだ勉強が足りず、さらに突き詰めて学ぶということが足りなさすぎると反省しながら歩きました。
防府天満宮から山際の道を選んで歩くと、静かな古い街並みがあります。
周防国分寺の敷地は少し坂になった場所があって砂利が敷き詰められているのですが、そこを杖を持ってリハビリでしょうか、歩いている地元の方もいらっしゃいました。
きっと子どもの頃からこの奈良時代からの史跡で遊び、生活してきたのだろうと想像すると、なんだかかなわないなあと思いました。
道路に、「史跡境界」という石が埋め込まれていました。
生活の場としての土地と、史跡を守るための境界線でしょうか、初めて見た標識でした。
*佐波神社*
地図で佐波神社を見つけたときに、佐波川と何か関係があるかもしれないと思い計画に入れました。
周防国分寺の前から道なりに東へと歩くと、少し高台になり、その下に水田がありました。地図に載っていた水色の線は、想像していた「水路」というよりは小川に近く、草むらを流れていてなんとも美しい風景でした。
その水田の前から石段でさらに小高い場所に登ったところに、佐波神社がありました。
Wikipediaの写真よりは、もう少しこじんまりと感じる境内です。
水の神様というよりは、「国府にその国の諸神を祀る惣社(総社)」だったようです。
「建立時期は不詳であるが周防国府設立後と考えられている」
ここから南東300mほどのところに、周防国府跡があります。
そのころは、その近くまで海岸線だったのでしょうか。佐波川はどんな流れだったのでしょうか。
石段の間にすみれの花が咲いていました。どこから来て、どうやってこの過酷な場所で花を咲かしているのでしょうか。
先ほどの小さな道に戻り、ふと道端を見ると「旧山陽道」という表示がありました。
なんだかかなわないなあと思いながら、防府駅の近くへと戻りました。
周防国府跡のあたりまで来ると、小さな水の流れが滔々と流れる用水路になっています。
帰宅して改めて水の流れを確認すると、佐波川からの取水ではなく、山側から湧き出た水のようでした。
奈良時代にもこの辺りの水田を潤していたのでしょうか。
「水の神様を訪ねる」まとめはこちら。