記録のあれこれ 121 周防灘台風と開作

秋穂(あいお)漁港の近くにあった高潮来襲記念碑が開作記念碑の2倍もの大きさだったことがちょっと気になって検索したら、この高潮来襲記念碑についてもいくつか先人の記録がありました。

 

「防長散歩中心案 郷土史研究」というブログに「秋穂 高潮来襲記念碑」(2018年1月17日)という記事がありました。

潮来襲記念碑

 昭和十七年八月二十七日

 塩田七十六町歩 全滅

 死者 町内  二名

    県内 七百数十名

 

 

 高潮の被害を後世に伝え、干拓地に住む者に警告を伝えている。

 昭和十七年の水害で厚東川は厚南側、藤曲側それぞれ決壊し、藤曲現在の居能交番の前あたりに実家のあったお母さんは小学生低学年で水害に遭遇し、家の鴨居まで水が来たよ。お父さんが高いところの家まで連れて行ってくれて助かったとよく言っていました。

 

実際にご家族がこの水害に遭われたようです。

 

*周防灘台風の被害を伝える石碑*

 

昭和17年(1942年)の周防灘台風による高潮だと知りました。

一般社団法人中国建設弘済会の「昭和17年周防灘台風【昭和17(1942)年8月27日~28日】」という記事に、この災害を伝える各地の石碑について書かれていました。

潮来襲記念碑(山口県山口市秋穂町東海岸通)

山口市秋穂では死者2人、負傷者8人、家屋の流失418戸、半壊208戸、浸水856戸などの被害が発生しました。海岸通りに建立された碑の背面には、塩田76町歩余全壊などと刻まれています。

 

大風水害受難之碑(山口県山口市名田島)

椹野川河口近くの山口市名田島では、死者32人、家屋の全壊流失68戸、半壊109戸、浸水122戸などの被害を受けました。平成2年に建立された碑の側面には当時の水位が刻まれています。

 

新地開作大風水害受難之碑(山口県山口市佐山渚)

山口市の佐山渚・新地地区では12戸が全半壊、田畑が海水に飲み込まれました。被災50年を機に建立された碑の背面には当時の水位も刻まれています。

 

厚南大風水害受難追悼之碑(山口県宇部市妻崎開作)

水害高潮記念碑(山口県宇部市妻崎開作)

宇部市厚南地区では、高潮に加え、厚東川の堤防決壊により死者・行方不明は300人余りにも及びました。妻崎神社境内には、50回忌にあたる平成3年に建立された追悼の碑と、昭和62年に設置された最高潮位2.3mを示す記念碑が並んで立っています。

 

風水害救援感謝碑(山口県山陽小野田市中川2丁目)

各地から寄せられた衣類などの救援物資(宇部市藤山小学校)

小野田地域では、死者・行方不明者約120人をはじめとする大きな被害を受けました。宇部・小野田では人々の衣類が流され困窮していたところへ全国各地から多くの衣類などが寄せられました。被災1年後、支援に対する感謝を伝えるため救援感謝碑が建立されました。碑の沓石の高さが災害時の高潮の潮位を表しています。

 

 

今回の遠出で歩いたり、車窓から見た地域でした。

 

 

 

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