記憶についてのあれこれ 173 山口駅と新山口駅

山口県をあちこち見て歩きたいという計画はいくつかあって、2019年に宍道湖から米子までを訪ねた時に、ぜひ出雲から先の山陰本線に乗ってみたい、そして山陽地方と山陰地方を結ぶ陰陽連絡線を乗り尽くしてみたい、できれば一筆書きで行けるところまで行ってみたいと、あれこれと地図を眺めていました。

 

各路線ともなかなか本数が少ないので2泊3日では周り切れそうになく、仕事を辞めたらいつかという楽しみにしてあります。

それまでに、三江線のように廃線になる路線がないといいのですが。

あっという間に車社会になったので、運転しない(できない)と公共交通機関がない場所を訪ねることは夢のまた夢という感じになってしまいますね。

 

山陰地方は大きな河川が少ないのですが、どうやって水を得ているのだろう、小さな川はどんな感じだろう、そして海岸線をただひたすら海を眺めて列車やバスに揺れる。

すっかりその魅力にハマってしまいました。

 

30年ほど前に訪ねた萩・津和野のあたりも、地図を拡大すると歩いてみたい水色の線がたくさんあります。

あの時とは違う視点で、その地域を歩いてみたい。

いろいろな夢があります。

 

 

新山口駅の歴史*

 

ところで新幹線が止まる新山口駅の方が山陽本線で、県庁所在地の山口駅の方が奥まったところに陰陽連絡線の山口線の駅としてあるのはどんな歴史なのだろうと気になっていました。

 

30年前に訪ねた時はどこから萩・津和野に向かったのか全く記憶がなく、山口駅新山口駅も記憶にありません。「山口県」というのはまさに山だらけの県だとつい最近まで思うくらい、その地形も頭に入っていませんでした。

 

地図で開作を探した時に、真っ先に目に入ったのが、新山口駅の近くでした。

防府駅から北西へと向かう山陽本線が、椹野川を越えるとぐいと南西へと向きを変え、山陽本線宇部線に分かれます。

 

椹野川(ふしのがわ)、これまた読めない名前でしたが、その河口には広大な開作が広がっていました。

 

新山口駅の「歴史」がまとめられていました。

1900年(明治33年)、旧吉敷郡小郡村の玄関口となる小郡駅として開業し、1975年(昭和50年)3月に新幹線も同駅で開業した。2003年10月1日に現駅名「新山口駅」に改称した。

 

これに対して山口駅の方は「1913年(大正2年)2月20日国有鉄道山口線の駅として開業した」(Wikipedia)で、小郡駅より後に鉄道が通ったようです。

 

椹野川の河口と宇部線沿線の開作によってできた土地に鉄道が敷かれ、新山口駅を通る鉄道の方が時期が早かったのだと、パズルが解けるように理解できました。

 

そして私には小郡駅の方が、子どもの頃から記憶にある駅名でした。そうだったのか、小郡駅新山口駅になったのかと、今回の遠出の記録をまとめているうちに理解できたのでした。

ただ、「こごおり」と読み方を間違えて覚えていました。「おごおり」だったのですね。

読み仮名を正確に知らないまま漢字だけで覚えてしまうので、ほんと、日本語は難しいものです。

 

 

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