散歩をする 342 高泊開作を少しだけ歩く

地図で開作を探した時にすぐに目に入ってきたのが新山口駅の近くの長細い場所と、山陽小野田市の有帆川右岸にある横長の水色の部分でした。

拡大すると、「周防灘干拓遺跡 高泊開作浜五梃唐樋(たかどまりかいさくはまごちょうからひ)」とありました。

最初は正確な読み方もわからず、ただ「干拓遺跡」と「樋」という字から水に関連した何かであることに惹かれてぜひここも訪ねようと決めたのでした。

 

 

*横土手から高泊開作浜五梃唐樋へ*

 

硫酸町から有帆川を渡るとすぐの交差点に、「国指定 浜五梃唐樋 1.2km」と表示がありました。

 

いつもなら「あと1.2kmだ!」と元気になるところですが、本降りの雨の中、ちょっと歩けるだろうかと心配です。

 

左手に硫酸町の黒屋根の落ち着いた工場の敷地と有帆川河口に干潟が広がっているのが見え、右手にはぐんと低くなった場所に広々と水田地帯と農家の家々が見えました。

この海との間の高い場所が「横土手」と地図に示されていた場所で、17世紀に始まった干拓の堤防であることを思うと、歩く気力が戻ってきたのでした。

 

県道354号の大きな橋の下をくぐると、今度は右側に池のように広い場所がありその向こうは工場で、海側は産業廃棄物の処理場と、風景が変わりました。

ここが締め切り後の江汐湖であることが、山陽小野田市郷土資料館の「ふるさと文化遺産」に書かれています。

 楊井三之允は寛文12年(1672)、千崎と高畑にある山峡をふさぎ、面積23ヘクタール(おのだサンパークの敷地、約2.5個分)の水面をたたえるため池を完成させました。それが現在の江汐湖です。

 江汐湖の水は川となり西高泊の水田を潤し、最終的に浜五梃唐樋から海に流れ出ていました。

 

「藩をあげての大事業である高泊開作を指揮した」(「ふるさと文化遺産」)のが楊井三之允(やないさんのじょう)だそうです。

 

工場の間の細い道のような場所でしたが、木々の間に小さな石碑がありました。

汐止記念石(しおどめきねんせき)

 ここは、高泊開作の堤防築造時、最初に樋門が設けられた場所です。

 高泊開作の経過を記録した「高泊御開作新田記」によると、寛文8年(一六六八)、横土手を築きようやく排水門が完成した矢先に豪雨に見舞われ、その後も台風と高潮に襲われたため、2度に渡り土手が崩壊し、樋門が流されました。そこで、当嶋(とうしま)八幡宮の参道下の岩盤を切り抜き、より頑丈な樋門を造ることとなり、「切抜唐樋(きりぬきからひ)」と呼ばれる2つの新しい樋門が造られました。そのうちの一つが、現在の「浜五梃唐樋」です。新たな樋門が完成したことにより、この場所は埋められました。

 この汐止記念石は、大正6年(一九一七)5月11日、高泊開作二五〇年祭において建てられました。

     山陽小野田市教育委員会

 

 

水門のような場所を二つほど渡ると、目の前に小高い場所が近づき、小さな集落がありました。

見上げるような場所が当嶋八幡宮で、その手前に岩で築いた頑丈な堰のような場所がありそれが「浜五梃唐樋」でした。

周防灘干拓遺跡高泊開作五梃唐樋

 

 この唐樋は寛文八年(一六六八年)に萩藩の直営事業として行われた高泊開作(四〇〇ヘクタール)の排水用樋門で岩盤を切り抜いて造られたことから切貫唐樋とも言われています。

 当初は、三枚の招き戸で開閉していた三梃樋(さんちょうひ)でしたが、安政四年(一八五七年)に排水効率を高めるために五梃樋に拡張され平成元年まで使われていました。

 排水口に設けられている招き戸は、潮の干満で生じる自然の水圧によって開閉する仕組みで、非常時には招き戸をロクロで巻き上げるように設計されています。

 この唐樋は、当時の優れた土木技術や、近世になって急速に発展する本市(ほんし)の基礎となった高泊開作築造を伝える遺跡の一つとして貴重なものです。

    国指定 平成八年三月二十八日指定 文部省・山口県山陽小野田市

 

「岩で築いたような」ではなく、「岩を切り抜いた」のですから気が遠くなる工程ですね。

海側の水が溜まった場所から五梃を覗き込んだのですが、土木技術の知識がなさすぎて「潮の干満で生じる自然の水圧によって開閉する仕組み」が想像できなかったのが残念です。

 

それでも約1,000キロ離れたここまで来て、地図で見つけたこの場所に立てたことだけでも満足しました。

 

 

*高泊の水田地帯を歩く*

 

地図では、干拓による水田地帯をぐるりと囲むように集落が山側に続いています。

その水田と集落との境界線のような道路を歩いて国道190号線に出て、国道沿いには15時ごろでも開いている食堂がありそうなのでそこでお昼ご飯にしてから小野田駅まで歩く、という計画でした。

 

ところが、やはり雨の中の散歩は体力を使いますね。最初は蒸し暑く感じていたのに、だんだんと体も冷えてきました。

目の前の当嶋八幡宮を訪ねる予定でしたが、見上げるような石段で中止し、とりあえず歩けるまで歩いて小野田駅までのコミュニティバスに乗ることにしました。バスの時刻表をチェックしておいてよかったと思いました。

 

静かな落ち着いた集落の中を歩いていると、小学生の下校の時間のようです。元気な声が聞こえてきました。

右手に水田地帯が開けて見えてきました。その水田の中にある高泊神社も訪ねてみる予定でしたが、立ち寄るとバス停まで歩き切る体力がなくなりそうです。

運転中でも神社があると一礼していた父のことがふと思い出されて、離れたところからどうぞこの地域をお守りくださいと思いながら歩きました。

 

「郷」という集落にあるバス停になんとか辿り着きました。

まだ1万6000歩ぐらいでしたが、肌寒さと疲れと空腹と、もう一歩も歩きたくない気分でバスを待ちながら広々と続く水田を眺めました。

田植えが終わったばかりで、緑が美しい風景でした。

 

17世紀までは、この辺りは海辺だったようです。

「ふるさと文化遺産」の「高泊開作」に、「現在、市役所や市民病院、小野田駅が建っている場所は昔、高泊湾という海でした。この広大な海を埋め立てて陸となった」と書かれていました。

 

コミュニティバスが来ました。昔海だった場所を走り、昔海だった小野田駅に15時35分、到着しました。

 

 

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