行間を読む 153 盆地という表現

厚狭を歩いていると、甲府盆地広島の三次そして奈良の王寺の風景を思い出しました。

 

川が周囲の山々から流れ込み、それが合流してまた山の間を通って下流の地域へと流れていく。

以前は「盆地」というと寒暖の差が激しいぐらいしか思い浮かぶことがなかったのですが、川や水路をたどるようになってその水がどんな地形をつくっているのかが気になるようになりました。

 

そして山の間を流れる川の先、下流もまたこの盆地の水の流れに大きく左右されることもあることでしょう。

厚狭では山を抜けると、河口に開作があります。

水害や水不足、あるいはそれぞれの地域で水に関連した施設を造ることも大きな影響を与え合うことでしょうから、それぞれの地域の水争いの歴史にはどんなことがあったのでしょうか。

 

Wikipedia盆地に何かまとまっているかと読んでみたら、案外あっさりとした内容でした。

 

 

*「盆地」が現れたのは大正時代に入ってから*

 

その少ない説明を読んでいくと、「日本における盆地」にこんなことが書かれていました。

日本の辞書や教科書に「盆地」が現れたのは大正時代に入ってのことであり、その定義は国内の盆地内にある平野や都市に視座を置いた人文地理的なものとなっていた。戦後に文部省地理調査所によって定められた上記の定義も、それを継承したものとなっている。山に囲まれた低い平坦地という日本の風土を想定して定められた「盆地」は、地形学の学術用語であるBasinやValleyの訳語に当てられたが、Basinは山地に属する盆状地質構造、海盆、流域などを指す、外縁や地質などを含めた窪んだ地形全体を捉えた用語であり、盆地床の地形について規定していない。このため、周囲に山がないパリ盆地や、海に面した流域であるアマゾン盆地など、日本の定義では盆地とは言えない場所を「盆地」と読んでいる例は多く、国際的な自然地域名称と乖離する場合もある。

 

「日本の辞書や教科書に『盆地』が現れたのは大正時代に入ってのこと」

それまでの時代はこういう地形をなんと呼び、どのような概念を持っていたのでしょう。

昔の人に盆地はどのような風景に見えていたのでしょうか。

 

関東ローム層という用語も1950年代に入ってからでしたし、生活している地面のことを表現され始めたのは、人類の歴史ではまだ日が浅いのでしょうか。

 

 

 

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