散歩をする 350 陸奥湾をぐるり

日本地図を学んで国の形を意識し始めたのは何歳ごろだったのでしょうか。

 

教室に貼ってあった大きな日本地図を眺めるのも好きだったのですが、津軽海峡あたりの青森県の地形は子どもの頃からすぐに頭に浮かんでいました。多分、親指と人差し指を曲げたような形だからでしょうか。

そして下北半島はまるで斧のような形だから、子どもにも印象に残ったのでしょうか。

まあ、現代の子どもは「斧」の方がわからないかもしれませんね。

 

いつかあのあたりを訪ねてみたいという夢はあったのですが、東北・北海道新幹線が開業してもまだ遠いと感じていました。

4年ほど前から干拓地を歩き始めて、しだいに全国の「潟」が気になり始めた時に、下北半島の付け根にもまっすぐな海岸線に大きな潟のような場所がたくさんあることが見えてきました。鉄道はないのですが、バスで大間のあたりまで回ることができそうとしだいに現実的になってきました。

ただ、それだけでも2泊3日ぐらいは余裕が欲しいものです。

 

今回は、陸奥湾の内側をぐるりとまわってみようということにしました。

陸奥湾を読むと、野辺地湾と青森湾そして大湊湾などが合わさったもののようです。

頭の中の地図はCの字だったのですが、確かに夏泊半島が突出しているのでWに近いですね。

 

どんな風景が見られるでしょうか。時間の関係で大湊駅までは無理そうだったので、下北駅まで行きはバスで、帰りは大湊線を利用してみました。

 

 

青い森鉄道で野辺地まで*

 

青森駅は昔の青函連絡船への接続のため海に向かって終着駅になるので、到着した時には真っ青な海へと入っていくようなちょっとダイナミックな感覚でした。

 

1980年代初めに、当時国鉄の東北本線だった青い森鉄道でぐるりと陸奥湾を通ってここに到着したのは、早朝4時か5時ごろだったと思います。

工場のような場所を通ってすぐに青函連絡船に乗り換えたような記憶があるのですが、不思議と色がなく白黒の風景の記憶でした。陸奥湾の記憶も全くありません。

 

10時46分、青い森鉄道八戸行きに乗りました。海を背にして南側へと大きくまわりながら走り始めました。

残雪の八甲田山と春の花が一斉に咲いている沿線の風景は本当に美しく、2ヶ月ほど前までは雪に覆われていたのでしょうか、魔法を見ているような気分ですね。

この日は都内の方が雨で気温も低く、青森は快晴で初夏のような陽気でした。

 

雪や風に負けずに建っている街並みは、除雪のためか家の間がゆったりと空いていて垣根もないので広々とした印象です。子どもの頃は雪が比較的多い地域に住んだこともあるのですが、すっかり雪国の生活を忘れています。

 

また陸奥湾に近づき、時々家の間にも海が見えるようになると、湾の反対側にやはり雪が山頂に残っている岩木山が見えました。

浅虫温泉を越えて山あいに入り東へと列車が向きを変えると、小さな谷津のようなところに清流と水田、そして用水路が見えました。川の名前はわからないのですが、盛田川の支流のようです。

海が見え始め、また美しい川を越えるとその名も清水川駅で、野辺地湾を眺めているとぐいと高台へと列車が上り、11時30分野辺地(のへじ)駅につきました。

 

40年前に、こんなに美しい場所を通っていたのに、記憶が全くないことが悔やまれたのでした。

 

 

*バスで下北駅へ、帰りは大湊線で*

 

ここから下北駅まで最初は大湊線で往復するつもりでいたのですが、地図をよく見るとバス路線もあります。それぞれが並走したり少し離れたりしているので、違う風景を見ることができそうです。

 

むつバスターミナル行きのバスに乗り、3人ほど乗せて12時10分に出発しました。

駅前から下り坂を走ると清流が流れる野辺地川を渡り、住宅の多い場所に入りました。

青森駅からの沿線の住宅地はどこも庭の草花がよく手入れされている印象でしたが、長い冬のあとの花の季節を楽しまれているのでしょうか。

野辺地の中心街を抜けると、バスは鉄道よりも海岸沿いのむつはまなすラインをしばらく走ります。

家の合間から海が見えます。下北半島の先端だけでなく、陸奥湾の対岸の津軽半島も見えました。

この日の海は穏やかで真っ青でしたが、風力発電所が増えてきて、海岸の草や松がなぎ倒されていたり三重もの板張りの壁がある家もありました。

防風林も増えてきて、畑の中に風向計もありました。

 

沿道はツツジ水仙、八重桜そしてたんぽぽと春の花が一斉に咲く寒冷地の幻想的な春の風景です。

北有戸バス停を過ぎるとしばらく雑木林の中を走り、いつの間にか大湊線がすぐそばを並走する区間になりました。

ここからは大湊線の方が海岸ギリギリを走り、バスは踏切を渡って少し内陸部へと変わりました。

あの風の強そうな海岸沿いの保守点検は、どのような仕事の内容と生活があるのでしょう。

 

横浜町」という地名になり、「第一牧場前」「横浜農場前」という停留所を過ぎても相変わらず林の中です。途中で六ヶ所原燃PRセンターの案内板がありました。

吹越のあたりでしだいに家が増えてきました。南向平で一人下車すると乗客は私一人になりました。

横浜海水浴場前を過ぎると保育園があり、新しい家も増えました。しだいに街の風景になり横浜新町のようです。

サンシャイン前バス停のあたりから水田地帯が広がり、菜の花が鮮やかに咲いていました。

「大豆田」「有畑」「浜田」といった地名が続いています。

 

再び海と林の風景になり、食品工場がありました。

深紅のチューリップが美しく、ほんとうにどこの家も庭の花がきれいです。

林や水田地帯を抜けるとまた街が現れ、新田辺川という放水路のような川を渡り、むつバスターミナルに到着しました。

中心部には融雪パイプがあるようで、道路が茶色くなっている場所もありました。

 

 

1時間29分ほどのバスの車窓の散歩でしたが、なんとも落ち着いた風景です。

そして下北半島でも水田が健在でした。

 

ここからJR大湊線下北駅まで田名部川沿いに歩く計画でしたが、バスの車窓から見た感じでは歩ききれない距離のようでしたから、タクシーにしました。

地図では1.5kmに見えたのですが実際には3km以上あったので、歩いていたら列車を逃すところでした。

 

下北駅は新しくおしゃれな建物で、ここから大間方面や恐山へのバス路線があるためか、想像以上に観光客らしい人がいて賑わっていました。

 

いつかここを拠点にバスで下北半島をまわりたいと思いながら、大湊線に乗りました。

 

 

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