行間を読む 158 能代線から五能線へ

弘前から東能代までの列車時刻を検索するとまず奥羽本線が出て、特急だと1時間16分ぐらいで2460円、普通列車でも1時間29分ぐらいでほとんど所用時間は変わらず1690円と出ます。

 

五能線の場合だと、快速リゾートしらかみは3時間30分で3610円、普通列車は3時間50分で3080円と、内陸部を通る奥羽本線の方が圧倒的に速いのですが、そのどちらも特急・快速と普通列車での所用時間にあまり差がないのが不思議です。

 

大館を通って米代川沿いに走る奥羽本線も乗ってみたかったのですが、今回はやはり海岸線を走る五能線にしました。

2018年に祖父の干拓地を訪ねて岡山平野を歩いた時以来、川と海を眺められる鉄道に乗っています。

 

いつの間にか全国の海岸線を通る鉄道をだいぶ乗りました。

あとは北海道と山陰の一部、四国と九州の一部の路線でしょうか。

 

実際に乗ると、それぞれの地域の地形や天候に合わせて急峻な海岸線に一世期半前から鉄道を敷き街を繋いでいった歴史が、少しずつですが頭に入るようになりました。

ただ、気づいた時には時代が変わり、道路に置き換えられていく現実になすすべもなしといった感じですが、せめてそれぞれの路線の歴史を記憶に留めたい、そんな思いです。

 

ところで五能線の名前はだいぶ昔から知っていましたが、今回五所川原に泊まり、初めて「五能線の『五』は五所川原なのか」と気づきました。

 

Wikipedia五能線の「歴史」を読むと、やはりそのようでした。

五能線の歴史は、1908年に開業した能代(現在の東能代)ー能代町(現在の能代)間に始まる。米代川の存在などの地理的状況により能代の市街地を外れる形となってしまった奥羽本線に接続するための支線であり、後に能代線(のしろ)線と命名された。

 

たしかに米代川を渡り市街地のある能代駅に到着したあと、川に沿ってぐいと南東へと向きを変えて東能代駅に到着し、その駅が奥羽本線との乗り継ぎ駅でした。

 

一方、青森県側においても、1918年、私鉄の陸奥鉄道(むつてつどう)が奥羽本線に連絡する鉄道を川部ー五所川原間に開業した。

1918年であればじゃじゃ馬のような岩木川周辺は水浸しの平野であり、河口も定まらないような時期ですが、陸奥鉄道を読むとその時代の熱意に圧倒されます。

 

日本海沿岸を巡って能代五所川原を結ぶ鉄道は、旧鉄道敷設法による予定線にあげられ、能代側は能代線の延長として、五所川原側は陸奥鉄道の延長の形で五所川原線(ごしょがわらせん)として、いずれも国有鉄道(当時は鉄道省)の路線として建設が進められ、1924年から順次延長されていった。昭和大恐慌の影響で、建設が一時スローダウンしたものの、1936年の陸奥岩崎駅ー深浦駅間を最後に全通し、五能線と改称された。

 

1936年(昭和11)には、あの海岸線を通る鉄道が完成していたのですから、その技術もまた驚きです。

 

五能線の列車は古いタイプかと想像していたら、最新式のような列車でした。

年表を見ると、2021年3月に新しい気動車に置き換えられたようです。

よく見かける「キハ」の「キ」は気動車のことだったのかと、ようやくつながるほど鉄道のことを知らなさすぎました。

 

 

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