散歩をする 361 JR豊栄(とよさか)駅から福島潟へ

米坂線が坂町駅に到着し、ここから12時38分の羽越本線新潟行きに乗り換えました。

坂町駅は水田地帯を見渡せる駅で、水田をはさんで西側には自然堤防が続いています。「容易に水がひかない場所」だったのだろうと思える場所ですが、美しい水田です。

その坂町駅周辺が8月4日、冠水している報道がありました。

 

羽越本線は真新しい車両でした。走り始めると西側は水田地帯、東側は山が少し近づいて谷津のような場所に住宅地が見えました。

平木田駅を過ぎると、溜池があちこちにあります。ここは潟の名残だったのか、それとも水が豊富にあるようでも水を得られない地形だったのかと考えていると、水田の中に墓地がポツンとある場所が多いことも気づきました。

 

美しい胎内川を渡るとその左岸に大きな工場があり、クラレでした。地図で見直すと地名が「倉敷町」になっています。「クラ(レ)」もしかしてと検索したところ、ホームページの会社の沿革に答えがありました。

1926年〜1950年代

クラレは1926年に化学繊維レーヨンの事業化を目的に「倉敷絹繊」として岡山県倉敷市に誕生しました。

クラボウヒストリーにつながるのでしょうか。

 

中条駅の手前には古い街並みが見えました。また干拓地のように平らな水田地帯が広がり、整然と用水路が張り巡らされています。

線路沿いの水路が水田周囲よりも低い水路で、排水路のようだったことが目に入りました。

加治川には下流に堰があるのも見えました。

動く車窓から大事なポイントを見逃さないすべが培われてきていると、ちょっとうれしくなりました。

 

しだいに大きな街に入り、これまた要塞のように大きな県立新発田病院が駅のそばに建っていました。新発田駅前は白と黒のお城風にデザインされていました。ちょうどあやめ祭り中のようです。

周囲を水田や川に囲まれた新発田という場所も一度歩いてみたいと計画ノートに書かれているのですが、今回は残念ながら素通りです。

13時17分、豊栄駅に到着しました。

駅前のベンチに座って米坂駅で買ったおにぎりを食べ、いよいよ本日最大の散歩コースへと歩き始めました。

 

 

豊栄駅から福島潟へ*

 

目指す福島潟までは、30分ほどでしょうか。

駅前の信号から南へと少し下り坂になっています。低い場所へ向かっていることがわかりました。

 

その途中にある稲荷神社に立ち寄ってみました。

立派な石垣に囲まれた古い氏神様でしょうか。住民の方が中でゲートボールをしていました。

「中部北陸自然歩道 稲荷神社」という説明板がありました。

 稲荷神社は、享保18年(1733年)に開墾宮として、新発田藩家老溝口内匠が邸内に祭っていた屋敷神を移したものと言われています。この開墾宮は、寛延3年(1750年)に「家並」と呼ばれた町方の氏神として再建されています。現在の社殿は文化12年(1815年)のものです。

 また境内右手には、葛塚の庄屋であった遠藤家の七郎左衛門宗寿、七郎左衛門国忠、七郎昭忠を祭る開市神社があります。この神社は文久3年(1863年)に宗寿を町方の人々は開市の神として稲荷神社境内に、村方の人々が用水の神として石動神社境内に祭っています。その後明治4年1871年常磐町を開設するにあたり、合祀して開市神社を建立しましたが、昭和44年(1969年)に常磐町から現在地に移転し、現在にいたっています。

 境内には、豪商と言われた弦巻家(三条屋)が中心となって寄進した玉造や水原代官男谷彦四郎(勝海舟の伯父)、権大納言中山忠能の手による社額、昭忠の顕彰碑、遠藤興国霊神碑などがあります。   

環境庁新潟県

 

一人の人がある人たちからは「開市の神」に、別の人たちからは「用水の神」になったという記録も興味深いものですね。

「開墾宮」という言葉も初めて知りました。

 

そこから少し離れたところに、おそらく暗渠だろうと思われる遊歩道が地図に載っていて、福島潟の方向へと続いています。そこをぜひ歩いてみたいと目指しました。

 

道がぐいと曲がる交差点に、「稲荷浦」と地名が表示されていました。そこから林のような遊歩道が続いて、歩道にはガス灯が建っています。ガス灯の由来も書かれていたのですが、写真を撮っていたつもりが見つかりません。残念。

そして、遊歩道より東側の車道の方が、遊歩道の西側よりも少し高く見えます。

 

「浦」、かつてはこの辺りが潟の境界線だったのだろうかと思いながら静かで落ち着いたまるで森の中のような遊歩道を歩くと、北区郷土資料館の素敵な建物が見えてきました。

「2022木崎村小作争議100周年事業 生活の向上を求めた小作農民と地主眞嶋桂次郎展 ー史料でさぐる小作と地主 それぞれの思いー」という展示が開催中のようです。

なんとも興味深いのですが、先を急ぎました。

 

そのそばに、「銅屋川跡 さくら通り 豊栄市政三十周年記念 平成十三年」という石碑があり、この遊歩道が銅屋川であったことがわかりました。

駅からここまでわずか十数分ですが、地理と歴史を学習できるものがたくさんある街でした。

 

遊歩道が終わると目の前に水田地帯が広がり、県道46号線のと交差点から県道246号線沿いに歩けばもうすぐ福島潟です。

左手は「水の公園福島潟」の敷地になったのですが、広大な公園なのでいけどもいけども福島潟に近づきません。

 

帰りも同じ道を歩いて帰る予定だったので途中で引き返そうかと思いましたが、水田の美しい風景に励まされて、誰も歩く人のいない道を暑さの中少し気が遠くなりながら歩き続けて、ようやく目の前に福島潟の一部が見えてきました。

 

 

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