行間読む 162 白新線と潟

福島潟を訪ねる時に、JR坂町駅からJR豊栄駅まで羽越本線新潟行きに乗りました。

羽越本線はその途中の新発田駅から本来の羽越本線白新線に分かれるのですが、列車案内では白新線を通って新潟へ向かう列車も「羽越本線」と表示されます。

 

ところが豊栄駅のホームに降りると、そこには「白新線」としか表示されていません。

たしか村上から新潟へ向かう時には、「羽越本線特急いなほ」でこの白新線の上を通過したのでした。

今乗ってきたのは羽越本線だったはずだけれどと少し混乱しましたが、地元の方々には当たり前の表示方法かもしれませんね。

 

たぶんこれもまた「潟」という地形による鉄道の歴史が関わっているのでしょうか。

 

 

白新線の歴史*

 

羽越本線新潟駅よりも内陸の新津駅から秋田駅までを結び、新津駅から新潟駅へ向かうのは信濃川右岸の山側を走ってくる信越本線に乗り換える必要があります。

 

なぜ羽越本線が海岸線近くを通ってそのまま県庁所在地の新潟駅までではないのか、気になりつつそのままにしていました。

 

白新線を読むと、白新線が開業したのが1952年(昭和27年)ですから、信越本線(1885年)と羽越本線(1912年)に比べるとかなり後でした。

その理由が「歴史」の最初から想像ができそうです。

明治期、新潟と新発田を結ぶ交通は通船川や新発田川による河川舟運および徒歩であった。

 

信濃川と阿賀野川がつながっていた時期もそう遠くはない時代であり、排水させることが大変な地域であったことでしょう。

新発田駅新潟駅を結ぶ鉄道ができれば、三角形の一辺で済むので時間も短縮できますね。

それがかなったのが1952年だったようです。

 

今回の私の散歩は快晴で穏やかな天気に恵まれましたが、お天気次第では現代でも大変なことが書かれていました。

一旦事故や悪天候でダイヤが乱れると、その影響は長時間かつ広範囲に及び、かつ回復にも長時間を要するケースが多い。また沿線には大形ー新崎間の阿賀野川橋梁など横風の影響を受けやすい箇所も点在しており、特に気象条件の悪い冬季には運休・遅延が慢性的に発生することから、沿線の通勤通学の足にも影響が及んでいる。

 

 

新発田駅から福島潟周辺の低地やさまざまな水路を避けながら、あの信濃川の2~3倍の川幅がありそうな阿賀野川を越えて、豊栄駅からわずか20分で新潟駅に到着できたのもまた、夢のような時代なのだとあらためて思いながらその歴史を読みました。

 

 

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