吉野川上流の両岸の水分神社を訪ねることができ、大和上市駅を10時41分発の近鉄線の普通列車で吉野口駅に戻りました。
吉野口駅のすぐ西側の斜面は大きく削られていて、何かの採掘現場のようです。周囲の静かな山の紅葉と美しい晩秋の青空に、その斜面の土の色が浮かび上がる風景でした。
以前だったらこうした採掘場のある風景に「現代は環境を破壊している」とその地域の歴史も知らずに感情で反応していたと思いますが、散歩をするようになって現代どころか7世紀ごろには治水のために山を削るという発想があったことを知りました。
この街の採掘の歴史はどんなものがあったのでしょうか。
11時48分の和歌山線までまだ30分ほどあったので、吉野口駅のそばを歩いてみました。iPhoneのマップを見ると駅から150mほどのところに柿の葉寿司のお店があるようです。まだ今回の散歩では柿の葉寿司を食べていないのでお昼ご飯にでも買おうと訪ねたら、残念ながらお休みでした。奈良の柿の葉寿司は断念しましたが、和歌山で買うことにしましょう。
葛城川の流れに沿ってこぢんまりと木の美しい家があり、駅前の公衆トイレも木造のおしゃれできれいなトイレでした。
落ち着いた街の雰囲気に、ぜひまた歩いてみたいものだと思いました。
*和歌山線に乗って奈良から和歌山へ*
ここからはJR和歌山線に乗って1時間45分ほどの車窓の散歩です。
列車が来ました。真新しい車両で、ロングシートでした。乗客が少なかったので、一つのシートを独占しながら左右の窓を眺めることができそうです。
先ほどの近鉄吉野線の線路としばらく並走したあと、JR和歌山線は南西の山あいへ、近鉄線は南東の山あいへと別れます。
灰色の瓦屋根が多いようです。地図には名前がない小さな川沿いに集落や棚田や畑が見えました。山は低い山が続いているのですが、その山沿いに柵が見えました。おそらく水路が通っているのでしょう。
カーブを描きながら進んでいくと、また小さな谷津に棚田が見えました。
北宇智(きたうち)駅のあたりで少し開け、遥か南の方へ山並みが見えるのは吉野の山々でしょうか。
また山の間を走ると、目の前が開けて五條の町に入りました。ここからはいよいよ吉野川沿いです。
地図を眺めていて、ずっと川の近くを走るこの路線にいつか乗ってみたいと思っていたのでした。
五條駅に「11月15日から18日、和歌山線五條ー橋本間運休」と貼ってありました。良かった、1週間遅かったら乗ることができませんでした。
大和二見のあたりは吉野川のすぐそばを走るのですが、川のそばは高くなっていて川の気配もないような風景だったのは意外でした。近くに二見城跡があるようです。
しばらくは小高い場所を走ったのですが、それでも案外と吉野川は見えませんでした。
県境を超えて紀の川になるあたりから、青い川面が見えるようになりました。川のすぐそばまで竹藪や雑木林がありそれが堤防になっているようです。
橋本駅で10分の停車がありました。南海電鉄が高野山へと通っているので、接続まちでしょうか。
ゆったりと流れる紀の川は、あまり高低差を感じないような流れでした。
高野山口駅では真正面に高野山が見えました。いつか行ってみたいものです。
青い空がどこまでも続き、明るい光のなかで晩秋の風景が続きます。
大谷駅のあたりからさらに勾配が少なくなり、紀の川は流れているのかわからないような穏やかさです。阿武隈川を思い出しました。
次第に紀の川にぐっと近づき、西笠田(にしかせだ)駅は川のすぐそばにあり、川の中には中洲というより島のような場所がありました。
このあたりから紀の川の右岸側には溜池がたくさん描かれている地域です。開けているのですが、小さな川がところどころ見えるくらいです。どんな水の歴史があったのでしょう。
灰色の瓦屋根の農家の家が増えてきました。
打田のあたりから水田が増えてきました。このあたりの土は白っぽい色のようです。
下井阪駅のあたりからさらに水田と水路の風景が増えてきました。
紀の川を渡るときに、堰が見えました。
ここから左岸側の水田地帯を走り、先ほどの堰からの水路沿いに真っ直ぐな線路が続きます。
布施屋(ほしや)駅の手前で用水路が分かれる場所を越えました。
晩秋の風景だけでもなんとも美しい水路と水田地帯の風景ですから、ぜひいつか稲穂が実る時期にも乗ってみたいものです。
千旦駅のあたりから用水路のそばは工場の風景になり、次第に住宅も増えてきました。
右手に紀の川の気配を感じながら走っていると列車はぐいと南へと向きを変え、13時34分に和歌山駅に到着しました。
いつ来ても、和歌山は光が明るく感じるのはなぜなのでしょう。房総の光に似ています。
吉野川の上流から紀の川へ、奈良から和歌山へ、連続しているようでやはり風景がどことなく変化しながらの車窓の散歩が終わりました。
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