稲敷市立歴史民俗資料館の「平成二十八年度 冬季企画展 稲敷の景観ー変化する道・水辺・交通ー」は稲敷の干拓の歴史が書かれていたので2ヶ月前に購入したのですが、こうした資料は散歩の記録を書く時にようやく真剣に内容を読み始めます。
最初の数ページに古い地図があったことも購入の決め手になったのですが、そのままになっていました。
改めて見直して、息を呑むような精緻な地図です。
明治の稲敷ー迅速測図でみる地形の変化ー
明治維新後の明治10年に起こった西南戦争において、軍事に利用可能な地図の必要性を認識した陸軍参謀本部が、明治13年から明治19年に作成したのが「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」である。日本における初めての広域測量の成果として著名であるこの原図は、関東平野のほぼ全域と房総・三浦半島を範囲として、等高線などによる地形表現の他、巧みな色彩が用いられるフランス式の彩色図である。欄外には土地を代表する風景や著名な建物、または軍事上の必要から河川断面や橋の構造のスケッチが水彩により施され、一般の地図よりも多様な情報が盛り込まれている。
しかし間もなく軍制がフランス方式からドイツ方式に移行し、ドイツ方式による一色刷の「迅速測図」が公刊されたため、フランス方式の「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」はその高い完成度にもかかわらず、日の目を見ることなく保存されてきた経緯を持つ。
次項より掲載するのは、財団法人日本地図センター発行「明治前記手書彩色關東實測図 第一軍管地方二万分一迅速圖原圖覆刻版(1991)」から稲敷市部分をつなぎ合わせたものである。
2018年に地図と測量の科学館で行われた「近代測量の幕開け」展で見たフランス式からドイツ式への歴史とつながりました。
現代の地図も何時間見ていても飽きないのですが、その場所がどんな風景でどんな生活があるのかを想像することは難しいものです。
意図的か政治的かあるいは技術的な問題か、はしょられていたり、不正確だったりすることもあります。
その点、フランス式というのは現実の生活を知らなければ再現できないジオラマやボタニカルアートと同じで、切れ目なくその場の状況が描かれています。もちろん全てを書き込むことは不可能ですが。
近代的な地図は正確な測量による科学的手法によって作られているのですが、むしろ絵画のようなフランス式の地図の方が「そのものの特性を変えない」という意味では科学的のような面もあるようながしてきました。
「フランス式からドイツ式へ」の最後で、こんなことを書いていました。
歴史にもしはないというけれど、もしフランスが勝っていたら、もしそのままフランス式地図が作られていたら、風景や人々の生活も描かれる地図が残されていたかもしれませんね。
最近はさらに、人々の生活を想像しやすいフランス式の地図をそのまま採用していたら、その生活や風景を一瞬にして破壊してしまう行動へ向かう雰囲気をもう少し抑えることができたのではないかと妄想しています。
隅々まで細かく地図を描くためには、その地域をくまなく歩き、そこに住む人とも関係ができていなければできないことですしね。
伊能忠敬の「自分の体を使って測ることは測量の基本です」には、他の意味もあるかもしれないですね。
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