水の神様を訪ねる 74 東大寺や春日大社、そして平城京の水源は?

今回の散歩の目的のひとつに、お水取りが行われる東大寺二月堂周辺をゆっくりと歩くことがありました。

2年半ほど前から奈良を訪ねるようになって、修学旅行のかつての記憶やイメージとは違うことに驚くことがしばしばあります。

 

その一つに、大和平野を囲む山々からは小さな水の流れしかないことがありました。

その水に乏しい北部の麓に平城京が造られたのはなぜなのだろう。歴史の素人の素朴な疑問です。

 

全国あちこちの地図を眺めたり実際に訪ねることで、湧水や川、時代を経て上水が整備される時代になると水路のそばに城や寺社が造られ水を制してきたことを知るようになりました。

 

ところが八世紀前半から続く東大寺はさぞかし大きな水源があるのだろうと思って地図を眺めましたが、東大寺の敷地には山から細々と描かれる2本の水色の線とため池があるくらいで、ため池の水源はどこだろうと探してもよくわかりません。

 

南東の春日神社の敷地には水谷神社があり、そのそばの吉城(よしき)川が水門町のあたりで小さな流れを合わせながら暗渠で大和川の支流である佐保川に合流しているようです。

この辺りの水の神様だろうかと、訪ねてみることにしました。

 

二月堂をあとにして山沿いの道を春日大社の方へ歩くと、その2本のうちの南側の川がありました。川というより「沢」で、流れている水もほんのわずかです。その下流東大寺鏡池のそばを流れますが、実際に歩くと高低差があってその水を使うことは難しそうです。

 

そこから少し上り坂を歩くと、目の前が開けて若草山のそばに出ました。

ぽつりぽつりくらいの観光客しか歩いていないのですが、視線を感じると鹿がこちらをじっと見ているのでした。

 

ここから下り坂になり、春日大社に敷地の森に入ると小さな渓谷のようで、ここが吉城川でした。静かに水が流れていますが、水量はわずかです。

 

小さな橋を渡ると、こじんまりと水谷神社がありました。

 

水谷神社(みずやじんじゃ)

 

御祭神 素戔嗚命(すさのおのみこと)様 大己貴命(おおなむちのみこと)様 奇稲田姫命(くしなだひめのみこと)様

御例祭 四月五日

御神徳 病気封じ・八方除け

 

難病・疫病を封じ、地相・家相・方位・日柄などから現れる災難を取り除き、福徳円満をもたらす神様。

水源となる神山春日山から湧きいずる聖流「水谷川」の水源地に鎮座する上水谷神社の里宮で、春日大社のなかで最も古いお社の一つ。御祭神は平安時代に隆盛した牛頭天王としても信仰され、京都八坂神社の本祀ともいわれる格式の高いお社。御例祭(鎮花祭)には、古くから社伝神楽と禰宜座(ねぎざ)狂言が奉納されてきた。禰宜狂言というのは春日神人(禰宜)が演じることからそう呼ばれ、豊臣秀吉肥前名護屋城に招くなど一流の狂言として誉高かった。かつて水谷神社の西には子安社があり、その御力の現れる場所が拝殿の「子授け石」とされる。この石を清めると子宝を授かるとお参りの人が絶えない。

 

地図では「水谷川」ではなく吉城川になっていますが、その水源の水の神様だったのかもしれません。後世の華々しい歴史は残っていても、最初はどんな場所だったのかを知るのは難しいですね。

 

東大寺春日大社、そして平城京はどうやって水を得ていたのでしょう。

水源やその歴史をたどるのも容易ではないですね。

 

 

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