静かな東大寺本堂から二月堂をまわり若草山に沿って山道を歩きながら水谷神社を訪ねた後は、吉城川に沿って坂道をおりました。途中、奈良春日野国際フォーラムの大きな建物があり、広々とした奈良公園に出ました。
国際フォーラムの下にある池の周囲では、木陰でのんびりと読書をしている人の姿がありました。そのフォーラムの大きな瓦屋根の向こうには先ほどの若草山が見え、北に目を移すと東大寺の大きな屋根と金色の鴟尾が見えました。
何もかもが邪魔されることなく統一された風景は、質素でありながらこの上なく贅沢な風景ですね。
これこそが奈良の醍醐味だと改めて思いながら坂道を下ると、8時ごろの静寂が嘘のように東大寺南大門への参道が観光客で大混雑になっていました。
朝早くから歩き始めて正解でした。
その先の奈良国立博物館ではちょうどお水取りの特別展があったので、立ち寄りました。
なぜ若狭とつながりがあったのか探してみましたが、残念ながら答えは見つけられませんでした。
まあ事実を掘り起こすというのは大変なことですからね。答えを求めすぎてもいけないし、早朝から東大寺の歴史を歩くことができたことだけで十分と心が満たされながら、県庁東交差点の地下道に入ったところで、その壁に釘付けになりました。
「平城京 2010年は平城遷都1300年」とあり、壁一面に「若草山から見た平城京をイメージした風景」が描かれていました。
整然とした平城京の周囲に水田地帯があり、川や周濠が描かれています。
大和平野は奈良時代もこんな感じだったのでしょうか。
あくまでもイメージの絵画ですが、水が乏しい時代でもおそらく美しい田園風景があったことでしょう。
吉野川からの水を得ることがようやくできた現代の美しい水田地帯があることを実感した散歩を終えるのにふさわしい絵に出会いました。
「記録のあれこれ」まとめはこちら。
周濠についてのまとめはこちら。