もっと訪ね歩きたいところがある奈良ですが、残り時間が少ない中で、昨年8月に訪ねた佐紀神社と溜池よりもさらに北側にある古墳と周濠を訪ねることにしました。
11時半ごろに奈良国立博物館を出て、近鉄奈良駅のそばでお昼ご飯を食べてから近鉄京都行きに乗り、大和西大寺駅で下車しました。少し足が痛くなってきたので鎮痛剤をのんでもうひと歩きです。
大和西大寺駅北口を出て東へと歩くと川があります。
平城(なら)の川づくり
秋篠川が人工的に付け替えられた川だということをご存知ですか。その昔、秋篠川は平城京造営に合わせて直線的に付け替えられ、西大寺や唐招提寺などの造営にも利用されたのです。秋篠川が、万葉集に一首も詠われていないのは、そのためかもしれません。
「川しるべ」という奈良県の案内板で、「この川しるべは、奈良の歴史と川との関わりを知っていただくためのものです」とありますが、こうした川の歴史を知るだけでも風景が違って見えてきますね。
*3つの古墳と周濠が集まった場所へ*
その秋篠川に沿ってしばらく北へと歩くと、住宅の屋根の向こうに森が見え、手前に小さな水田がありました。称徳天皇高野陵で、目指すのはその3つの古墳と周濠が集まっている場所です。
GPSを見ながらその方向へと歩き出したのですが、近道をしようと広い駐車場へ向かったのがアダになりました。通り抜けできず引き返すことになり、夏の日差しのような暑さと足の痛みで踏んだり蹴ったりです。
駅へ引き返そうかなと気持ちがくじけそうになりましたが、誘われるように歩くと古い住宅地になり、「森」への道につながりました。
高野陵の森の右手に大きな周濠が見えました。日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の陵(みささぎ)で、その左側には佐紀石塚山古墳の周濠がありました。
めまいがしそうな日差しでしたがこの古墳の森の木陰は涼しく、しばらく腰掛けて休みました。
交通量の多い道から少し入っただけなのに誰も歩いていない静寂な道は、鳥の鳴き声と葉が風に擦れる音がするだけで、少し怖さを感じるほどの静寂です。
突然現れる自転車や散歩の人にびっくりしていまいました。どうやら古墳の間の道は生活道のようです。
不思議なのは、右の周濠の水は緑色に濁っていましたが、左の周濠は水深が浅いだけでなく水が澄んでいて、小さな魚や亀の姿もはっきりと見えました。
それぞれどこから水が来ているのでしょう。
少し蛇行しながら北へと道が続き、忽然と古墳の森が終わって現代の住宅地になりました。
小さな畑があり、白っぽい土でした。車一台分の細い道を降りて行く途中の電信柱に「ミササギ」「ヘイジョウ」と識別票がはられているのが奈良ですね。
なんだか古代から時空を超えて歩いてきたような気持ちになっていたら、突然、目の前に近鉄線の「平城駅」が見えて現実に戻ったのでした。
近鉄線の北側にも神功皇后陵の周濠があるのですが、駅に着いた時には疲労の限界でそのまま近鉄線に乗って京都へ向かうことにしました。
車窓からその北側の周濠からでしょうか、用水路が見え水田が見えました。
ああ、やはりもう少し頑張ってあの辺りを歩けば良かった。
またやり残した宿題ができてしまいました。困りましたね。
ところで、地図ではあの周濠が集まったあたりは「山上町」と表示されるのですが、住所では「山陵(みささぎ)町」になるのはどうしてなのか調べてみてもよくわかりませんでした。
「散歩をする」まとめはこちら。
周濠についてのまとめはこちら。