大和平野を潤す用水路を訪ね、奈良東大寺二月堂とお水取りの歴史を辿って小浜まで訪ねた散歩も無事に終わりました。
あとは金沢から北陸新幹線で帰るだけですが、新幹線を待つ1時間ほどの間にぜひ訪ねてみようと思った場所がありました。
金沢は高校の修学旅行で行き、2019年に河北潟を訪ねるために四十数年ぶりに降り立ちました。
そして2020年秋に邑知潟から能登半島を訪ねた時と昨年9月にツルボを探しに一筆書きの旅程でぐるりとまわった時に北陸新幹線の乗り継ぎで途中下車しましたが、時間はあっても疲れが溜まっていたり、天候が悪かったりで金沢は通過するだけになっていました。
今回はなんとしても、金沢駅近くで歩きたい場所があります。
11時57分小浜駅から敦賀行きの小浜線に乗りました。満員です。風景も見えにくいので、いつの間にか爆睡していました。13時に敦賀駅に到着。近くの山に残雪が見えました。
13時27分の特急しらさぎ7号に乗ろうとしたところ、団体客が下車するのに時間がかかりました。久しぶりの団体旅行の風景が復活しました。
福井から石川県に入ると、遠くに見える白山が神々しい姿で迫ってくるようです。雪山というのは存在感がぐんと増すのが不思議ですね。
車窓からは歩いてみたい場所が次々と現れます。困りました。
15時15分、雨がぱらつく中金沢駅に到着しました。海外からの観光客の姿も多く、激混みの金沢駅でした。
*昭和町の水路*
地図で見ると単に二つの川に挟まれた場所でしかないのですが、浅野川の先にあの自然堤防の高台に囲まれたすり鉢のようなところに河北潟があります。
そしてその浅野川と犀川の間には、金沢駅と金沢城のあるあたりが尾根のように小高い場所になっていることが、何度か北陸新幹線の車窓から見たことでわかりました。
河北潟を知ったことで、金沢の地形がだいぶ思い浮かぶようになりました。
金沢駅の南側、犀川の方へと300mほどのところに中橋町があって、そこに水色の線が入り組んだ場所があります。
地図でいつも気になり、いつかゆっくり歩いてみたいと思っていた金沢の一つです。
小雨の中、西口から南へと歩き始めました。構内の喧騒が嘘のように歩く人もいない道を線路沿いに南へ200mほど歩いたところに地図にはない水路がありました。
幅3mほどはあるでしょうか。線路の高架橋の下にかなりの水が流れていました。高架橋の先は暗渠になってビルの下を流れているようですが、二つに分水されているようにも見えます。
目的の中橋町とは反対方向へと引かれるようにその水路に沿って歩いてみました。
「昭和町公園」とレンガの壁に表示があり、駅周辺のビル街の一角になりました。
地図には載っていない水路がこの金沢駅周辺にあったことを発見したことに満足して、そのまま東口へ向かいました。
観光客で混雑しているところから逃れるように駅ビルへと入り、遅いお昼ご飯を食べることにしました。幻の鯖焼定食でしたから、朝から何も食べていないのでした。
*おまけ*
帰宅して地図で確認すると、あの尾根のような場所に建つ金沢城と忍者屋敷のあたりに犀川から取水しているらしい水路が中橋町へと流れ、その一部が昭和町へと分水されているように見えます。
おそらく尾根伝いに水路が通っているのではないか。修学旅行以来の忍者屋敷のあたり、人が多そうで避けていたのですがやはり歩いてみたくなりますね。
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