ここ数年、あちこちに出かけるようになってホテルに泊まることが増えました。
私の場合はビジネスホテルばかりですが、一人の宿泊予約が取りやすいこと、食事なしの素泊まりが可能なこと、そして女性一人でも歓迎してもらえることが主な理由でしょうか。
ビジネスホテルに宿泊するようになって、自宅にいる時以上に熟睡できることが増えました。
仕事や日常生活から解放されたこともあるのかもしれませんが、この部屋の作りが「生活上に必要なものが備えられている安心感」だと思います。
一つの感染症を片時も忘れることなく生活するようになり、ビジネスホテルが宿泊療養のために利用されるようになった時にさらに強く思うようになりました。
一人でトイレやシャワーを使えるというのは、贅沢のようでも公衆衛生のための必要条件ですからね。
一日中適切な温度に調整できるのもありがたいことです。
願わくば小型の洗濯乾燥機まで室内に備えられていたら完璧ですけれど。
そして災害や防犯という意味でも建物は頑丈ですし、電気・水道あるいは備品も定期点検が行き届いているので安心です。
*時代によっても年代によっても優先的に必要なものは変わる*
かつては広くて部屋数もあることを求めていましたが、最近は1KかLDKに近い部屋が使いやすいかもしれないと思います。
というのも母が最期に暮らした公的な特別老人養護施設でもユニット式で、トイレは2部屋で共同でしたが基本的に個室が基本でした。
バリアフリーで車椅子でも使いやすい広さもありました。
洗濯とお風呂はユニット内で共同でしたが、もし室内にシャワーと小型の洗濯乾燥機とwifiがあれば私も住みたいと思う住環境だと思いました。
そうだ、こういうビジネスホテルのような年金者住宅があれば、退職後の基本は自立で暮らせる年代から介護が必要になる時まで途切れることなく住み続けられるのに。
年金だけでは終の住処にも入れず、介護度とともに生活の場を転々と変えなければならず、それまで築いてきた「健康で文化的な生活」のレベルを下げなければならない日本とは違うようです。
日本でそれまでの生活レベルも維持したいといったら、億の単位が必要な施設になってしまいますからね。
わずか20年ほどだというのに飛躍的に制度が整った介護の世界ですが、元気なうちに終の住処を準備することはむずかしく、介護が必要な状態になって初めて探さなければいけないし、ようやく施設に入れても体調を崩せばまた一から施設探しという状況です。
高齢になってなお引っ越し貧乏にもなりそうな現状です。
かれこれ30年以上も今の地域に暮らし社会保険も税金も納めてきましたし、多少はその地域の保健医療にも貢献してきたつもりでしたが、高齢になってどこで生活するかという点でなかなか見通しが立たないものですね。
収入や貯蓄があって税金を納めてきた分、公営住宅に入ることは難しいという矛盾があります。
これはおかしいと思うのですけれど。
たぶん生活の場と療養の場の境界が明瞭に区切られすぎていることが、そこを行ったり来たりしながら死んでいくまでの生活の現状のニーズに合っていないのだろうと思います。
納税してきた人が必ず入れるビジネスホテルのような設備の年金者住宅があれば、必要な時に対応も早くなるし訪問介護や看護も集約化されて動きやすいのではないかと思うのですけれど。
まあ、ナイチンゲールが「看護」を言語化した19世紀半ばや、「介護」という言葉もなかった20世紀後半のヒトの平均寿命を考えると、驚異的にヒトが長生きするようになった時代のまっただ中の葛藤と言えそうですね。
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