落ち着いた街 51 潮見坂から遠州灘沿いに新居宿へ 

白須賀地区から潮見坂へかけて旧東海道の趣のある道を歩き遠州灘沿いの地域へと出ました。

 

ここからさらに約6kmほど、バスもないのでJR新居町駅まで歩ききる必要があります。

すでに1万4000歩、ちょうどお昼時だったので近くの食堂に入りました。魚フライ定食のお味噌汁が赤だしだったのが、浜名湖を境に関東から関西へと街が変わるような印象とも関係があるかもしれませんね。

しらす大根おろし、白菜の漬物、日常のおいしさで元気が出ました。

 

遠州灘沿いに新居宿へ*

 

満足して、まずは海辺に出てみました。

まっすぐな遠州灘の海岸線がずっと続いていて、浜名湖大橋のあたりまで見えました。

 

このあたりは海岸から北側の丘陵地帯までわずか数百メートルほどの細長い地域が続き、地図ではその真ん中に水色の線が浜名湖まで描かれて田畑が広がっているようにみえます。

てっきりこれが湖西用水だと思ったら、浜名川でした。

北側には山裾に浜名旧街道が蛇行して通っていて、これが旧東海道のようです。

 

以前だったら旧東海道沿いで栄えた街があるのだろうくらいしか思わなかったのですが、あの蟹の腕のような半島の外側は水源がなさそうと想像しながら、浜名旧街道へと向かいました。

 

蛇行する道沿いには落ち着いた住宅街が続いています。山側には神社が点在していて、小さな説明板があちこちにあるのでここもまた歴史資料館を歩いているかのようです。

途中、火鎮神社がありその「由緒」には安永年間の火災があったことが書かれていました。

 

興味深かったのは「立場跡」の説明でした。

 旅人や人足、駕籠かきなどが休息する茶屋を立場(たてば)といって、江戸時代、東海道の各所に設けられていた。

 この立場は、新居宿と白須賀宿の間に位置し、代々加藤家がつとめてきた。

 立場では旅人を見ると湯茶をすすめたので、ある殿様が「立場立場と水飲め飲めと鮒や金魚じゃあるまいに」と戯歌(ざれうた)を詠んだらしいという話が残っている。

 平成二十二年三月  湖西市教育委員会

 

ちょうど私も歩き疲れてどこかに座って水を飲みたいと思っていただけに、「殿様というのは自分を担いで歩いてくれている人たちの辛さは分からないのか」と、この感じ方の差が印象に残りました。

 

街道ぞいには日陰とおそらく風除けのためでしょうか、ずっと松並木が続くのが東海道らしい景色でした。

2月とはいえ日差しの暑さにちょっとくらくらしながら、松の日陰を歩きました。昔の人はほんと、健脚だったのですね。

 

遠州灘の防風林と旧東海道との間にある地域は薄黄色の土が広がっていて、キャベツ畑でした。ところがどこまで行っても浜名川らしい水の流れは見えませんでした。

 

地図では浜名川が南東へと曲がるあたりで緩やかな上り坂になり、住宅地に入ったところで小さな石碑がありました。

棒鼻跡(ぼうばなあと)

 ここは新居宿(あらいしゅく)の西境で、一度に大勢の人が通行できないように土塁が突き出て枡形をなしていた。

 棒鼻とは、駕籠(かご)の棒先の意味があるが、大名行列が宿場へ入るとき、この場所で先頭(棒先)を整えたので、棒鼻と呼ぶようになったともいわれている。

  平成二十二年三月 湖西市教育委員会

 

もう少し行くと、「一里塚」の説明です。

一里塚跡

 一里塚は、江戸の日本橋を起点として街道の両側に一里(四キロメートル)ごとに土を盛り、その上にエノキなどを植えた塚。

 里程(りてい)の目印として、旅行者にとっては馬代や駕籠代の計算などの目安となった。

 慶長九年(一六〇四)二代将軍秀忠が一里塚を築かせたといわれ、東海道では百四ヶ所あった。

 ここには左(東)にエノキ、右(西)に松が植えてあった。

 

現代のごく普通の住宅地の風景だったのが、こうした説明板ひとつで全く違う風景に見えますね。

 

 

*「船囲い場跡」*

 

ふたたび緩やかな下り坂になって平坦な住宅地に入ると、新居関所跡の手前の空き地のような場所に「船囲い場跡」の説明がありました。

 

船囲い場跡

 

 宝永四年(一七〇七)の災害によって宿場、今切関所(いまぎれせきしょ)が翌年に現在地に移転してから、渡船用の船をつないだ所。

 この入り江には、常時百二十艘(そう)の渡船が配置されていた。

 大名の通行等で多くの渡船が必要な場合は、「寄せ船」制度により近郷から船が寄せ集められ、不足を補った。

「1707年の災害」、宝永地震でしょうか。

今は埋め立てられているこの場所にはかつて船溜まりがあったようです。

 

東海道新幹線浜名湖を渡りJR新居町駅を過ぎるとすぐに、A席から小さな船溜まりが見えます。

いつかそこを歩いてみたいと思っていたのですが、この説明板で歴史が少しつながりました。

もう足が棒のようになっていましたが、やはりそこを訪ねようと思いました。

 

せっかくなので新居関所跡も訪ね、東へ150mほどのところにその場所がありました。

朱色の欄干の浜名橋がかかり、東海道本線東海道新幹線に挟まれたあの場所が見えました。

 

ちょうど引き潮で勢いよく浜名湖からその先の運河へと水が流れていましたが、どこまでも透き通った水底でした。

そして東海道新幹線が通過していきました。大満足。

 

さすがに疲れたと思ったら、バス停のそばにまた天竜森林組合の木製のベンチがありました。

なんと歩きやすい街でしょう。

しばらくベンチに座らせてもらって、運河の水を眺めたのでした。

 

 

 

「落ち着いた街」まとめはこちら

新幹線の車窓から見えた場所を歩いた記録のまとめはこちら