生活のあれこれ 49 広い世界へ出て生活の失敗をつづった記録

私自身は父の世代のイデオロギーへの反発から日本史や天皇の歴史を知ることを避けてきたところがあるのですが、それが今や天皇陵や古墳の周濠を訪ね歩くようになったのですから、思えば遠くに来たものです。

 

そして父が皇居を特別な場所と感じていたのに対して、私は東京駅のそばの広大な場所くらいでした。おそらくこれも時代の反動で、あえてそこに感情を移入させないようにしていたのかもしれません。

ちょっと皇居が身近になったのが、玉川上水を引き入れいている場所として2017年に新宿から半蔵門まで歩いた時でした。

以来、時々皇居の周辺を散歩し、お堀と石垣が美しいいい場所だと感じるようになりました。

 

皇居に対する気持ちが大きく変化したのが昨年秋に東御苑にふらりとたちよった時で、昭和天皇が造られた「雑木林」でした。高級な庭園ではなく武蔵野を模した雑木林、初めて昭和天皇を身近に感じ、今までの「皇居」への感情が何か変化しました。

 

 

*道に関心があった*

 

 

さて、ネジバナを見に東御苑へ大手門から入ったのですが、入り口のすぐのところに売店があったのでふらりと立ち寄ると、「テムズとともにー英国の二年間」が目に入りました。

自分の中の「水」への関心がだいぶ言葉になってきてブログに書き綴る中で、今の天皇も水に関わる研究や公務が多いことを知ることになりました。

そのきっかけが書いてあるかもしれないとその本を手に取ると、川への関心は最初は「道」であったことが書かれていました。

 

 

その部分を読みたくなって購入しました。

 

 そもそも私は、幼少の頃から交通の媒介となる「道」についてたいへん興味があった。ことに、外に出たくともままらない私の立場では、たとえ赤坂御用地の中を歩くにしても、道を通ることにより、今までまったく知らない世界に旅立つことができたわけである。私にとって、道はいわば未知の世界と自分とを結びつける貴重な役割を担っていたといえよう。

初等科の低学年の時だったと思うが、私はたまたま赤坂御用地を散策中に「奥州街道」と書かれた標識を見つけた。この標識自体は新しいものであったが、古地図や専門家の意見などにより、実は鎌倉時代の街道が御用地内を通っていたことがわかり、この時には本当に興奮した。

(「8 オックスフォードにおける研究生活」「なぜテムズ川の交通史を研究するにいたったか」p.149~)

 

皇居の内側から外へと向かう道にも一人で自由気ままに歩くわけにはいかないことは、なんとなく皇室のイメージとしてありましたが、淡々と書かれたこの箇所にハッとしました。ほぼ同年代で同じ時代を過ごしてきたのに彼と我との半世紀はあまりにも違っていました。

 

「道に歴史あり」のような学術的な関心を書かれているのかなと最初思ったのですが、読み始めるとイギリスの留学生活へと入っていく緊張感が伝わってくるものでした。

 

ちょうど同じ頃、私も東南アジアで2年ほど生活したのですが、到着後の車窓から見た違う生活や文化の風景へと飛び込んでいくときのあの緊張感と重なりました。

そして私のような一国民でさえ、海外で生活をするとまるで「日本」を背負ったかのように、さまざまな日本への質問が飛んできました。それに応える緊張感は、皇太子としての立場では尋常ではない重圧だろうと想像してこちらまで冷や汗が出るような記録があちこちに書かれています。

 

 

*一人で生活される失敗談*

 

当時も皇太子の留学のニュースは耳にしたのではないかと思いますが、おそらく何人ものお付きの方々がいて世話をされているのだろうぐらいの認識のままでした。

 

ところがイギリス人の警護官が一人つくだけで、日常生活はお一人でされていたことを知りました。

寮内での洗濯やアイロンがけもされていて洗濯機に洗濯物を入れすぎたために床まで泡だらけにしてしまったとか、図書館で傘を盗まれて雨のなかずぶ濡れになって帰ってきたとか、「少し」と言わなかったために山盛りの野菜を盛り付けられたとか、買い物も自身でされてその習慣の違いとか、随所に生活とその失敗談が記録されていることが印象的でした。

 

1980年代、まだまだ人を神としていた時代の葛藤の中で、むしろ皇室の中の方々の方が大きく意識を変えられていたのかもしれません。

 

 

*ともに生活し、その地域を歩くことで世界が広がる*

 

 

その6年ほど前にイギリスを短期間訪れた時の「ゴミが浮いて汚い川」だったテムズ川が、歩くことで、そして共に生活することで、テムズ川の違う景色や歴史を見つけていく様子が書かれています。

 

そこで暮らし実際に歩いてみることで、さまざまな失敗をしながら相手の国と自分の国を相対化していき、相手国への尊敬や親しみが増していく。

1980年代、同じ世代の日本人が同じように広い世界を求めた時代だったと、自分の記憶と重なったのでした。

 

 

 

ところで、最後の方でこんな一文がありました。

 

キャンベル卿御一家やハイランド各地に点在する族長であるクラン(clan)の方々とお話しする過程で、イングランドに半ば征服され、スチュアート朝の直系にありながら自らの王を英国王の後継者として擁立できなかったスコットランドの人々の、イングランドに対する無念さと怨念の一端を感ぜずにはいられなかった。「イングリッシュがすべて壊したんだ」とこの旅行中何度聞いたことか。

 

当時20代半ばだった皇太子は、どんな思いを持ってこの言葉を受け止められたのでしょう。

きっと、それ以降たくさんの国々の国王や大統領などと逢われる時に心に去来する大事なものになったのではないか、そんなことを想像しました。

 

 

それにしても皇室の生活がテレビの映像で見るちょっと堅苦しいものではなく、こうして直接書かれたものを読めるようになったのは驚異的な変化の一つですね。

しかも生活上の失敗談を読めるようになるとは。

失敗を認められるからこそ、また違った広い世界へと誘われることが多々ありますね。

 

 

 

「生活のあれこれ」まとめはこちら

失敗とかリスクについての記事のまとめはこちら