落ち着いた街 53 「芹川や犬上川の流れが運んだ土や砂が堆積してできた平野」

新幹線の車窓から見ていた春は麦畑が広がり夏は稲穂が一面に広がる場所犬上川の水の長い歴史があるらしいことを知ることができた1日目でした。

 

尼子駅から近江鉄道に乗って、今夜の宿泊先に向いました。

駅を降りると近くに川が流れています。橋の上からのぞき込むと結構な水量が流れていました。住宅地の中に田んぼも少し残っています。

 

ホテルの部屋に入ると、なんと少し離れた琵琶湖が夕陽に輝いているのが見えました。

17時50分ごろには比叡山の上に夕陽がかかり始め、17時53分には目を射るような夕陽の眩しさがなくなり太陽の4分の1ぐらいが見えるだけになったと思ったら、17時54分には日没になりました。日の出も太陽の動きが早く感じますが、日の入りもあっという間ですね。

こんなに正確な動きを太古の昔から繰り返してきたのですから、なんだか人間の人生がちっぽけに感じる瞬間です。

 

日没後もしばらく比叡山が燃えているような幻想的な風景を眺めていました。

少し離れた場所に小高い山があって、地図で確認すると荒神山のようです。

琵琶湖の周囲にぽつりぽつりとあるこうした小さな山の風景、懐かしいと感じるのは瀬戸内海に似ているからでしょうか。

 

眼下には先ほどの川が流れています。川の近くを青鷺が飛んでいたのですが、河原の上を飛ぶとあの色が保護色になるのか姿を見失いました。

 

山側に東海道新幹線の高架橋が続いています。すっかりあたりが夕闇に包まれた頃からは、新幹線を眺めていました。車窓の室内灯で明るく見えます。どんな思いでみなさん乗車しているのでしょう。

しばらく眺めていたら、なんとなくダイヤの法則性のようなものが見えてきました。

そして時々ほぼ同じ場所で上下線が交差することも。さすが15秒の正確性ですね。

終電まで眺めていたかったのですが、翌日も早いので心地よい眠りに入りました。

 

 

近江鉄道高宮駅まで歩く*

 

散歩の二日目は五個荘のあたりを歩く予定で、近江鉄道高宮駅まで歩いてみることにしました。

 

眼下に見えていた川の左岸の古風なデザインのおしゃれな小学校のそばを過ぎると少し小高い場所があり、旭森公園がありました。新幹線の鉄橋から300mほどのところで、静かに新幹線が何本も通過していきました。

 

山の斜面のようなところにこんな説明がありました。

 森学区に学ぶ

私たちの旭森学区は、芹川が流れ、亀甲山、鞍掛山があり、中山道近江鉄道・国道八号線・国道三〇六号線・名神高速道路・JR東海(新幹線)が通っている地域です。

芹川の河原では、二億八〇〇〇万年ほど前の「ウミユリ」「フズリナ」の化石や200万年ほど前の地層「古琵琶湖(こびわこ)層」や三〇万年ほど前の「ナウマン象」の化石などを見ることができます。彦根は、この芹川や犬上川の流れが運んだ土や砂がたい積してできた平野です。

八世紀につくられた万葉集の和歌にある鳥籠(とこ)の山や不知哉川(いざやがわ)は、このあたりのことを読んだものだろうと言われています。

 『淡海路(おうみじ)の鳥籠の山なる不知哉川

         日のこの頃は 恋つつもあらむ』(万葉集 巻四)

中山道の街道沿いには、昔からの言い伝えや遺跡も残されています。

大堀の「石清水(いわしみず)神社」「太子堂」「扇塚」。地蔵の「春日神社」「矢除(やよけ)地蔵尊」。西沼波の「にらみの木」。正法寺の「古墳群」「安産の観音様」「五つの溜め池」。野田山の「山田神社」「金毘羅大権現」。東沼波の「八幡神社」「秋葉神社」。などです。

このように自然にも歴史にも恵まれた私たちの旭森学区をみんなの力でいつまでも守り続けていこうではありませんか。

平成十一年三月       旭森小学校PTA

 

散歩の始まりに素晴らしい説明をみることができたと、しばらく立ち止まって読みました。

自分が生活する場所とはどんなところか知ることができるなんてすごいですね。

 

そして「彦根は、芹川や犬上川の流れが運んだ土や砂が堆積してできた平野」の一文が印象に残りました。

名将や権力闘争の歴史よりも先に地理を知ることで、この行間にある彦根の長い歴史が初めて理解できる、そんなところでしょうか。

 

その案内板のそばに小さな説明もありました。

 石墨(せきぼく)(黒鉛

たいせき岩の中にふくまれている炭質物(たんしつぶつ)がねつなどの作用をうけて形をかえ かたまってできたものである

通学する小学生向けに書かれたものでしょうが、読み仮名もついていて大人の理科のやり直しに助かりますね。

 

 

*旭森から高宮へ*

 

小高い場所は斜面を利用した小さな公園になっていて、その隣に石清水神社があります。

8時半ごろでしたが、近所の高齢の方々が公園と地蔵堂の清掃をされていました。

 

道の反対側に、井戸のようなものがありました。

 「かどや」跡地と井戸の由来

 

 石清水神社前に「かどや」という「お休み処(どころ)」があった。およそ200年前に建てられ、用材は欅を「チョンノ」(鉋(かんな)の一種)で削り、くぎは使われていない。内部は幾組もの客が休憩できるように多くの小部屋に分かれていた。井戸は岩を掘り下げて、井戸側はなく、岩の間からにじみ出た水で文字どうり「岩清水」であった。

ところで、この井戸を掘る時、その位置を決めるのに屋敷のあちこちに、幾つものお椀を伏せておき、露の付き具合の一番多いところが、水量も多く、水点も近いであろうと、西南の角に、決めたといわれている。江戸時代旅人たちが、この岩清水で沸かしたお茶でのどを潤し、一夜の宿で、旅の疲れを休めたところである。

ちなみに、大正6年陸軍大演習のみぎり、大正天皇に献上されたお茶は、この水を沸かしたものといわれている。  (大堀町史跡顕彰委員会)

 

駐車場にぽつんと残る井戸の前に、石清水神社への見上げるような石段がありました。

 

この道沿いが旧中山道のようで、道沿いには美しい古い家並みや地蔵堂が残っています。

地図では石清水神社の近くに分水路が描かれていますが、歩いていると地図にはない水路がたくさんあり、かつては水田地帯だった場所が新しい住宅地になってその合間に田んぼが残っていました。

 

ここから高宮駅までは地図でなんとなく選んだ道でしたが、あちこちにある説明板を読みながら、まるで街全体が歴史資料館か自然博物館のようでした。

高宮駅に近づくにつれて、また東海道新幹線の姿が見えるようになり静かに何本が通過していきました。

 

 

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