水のあれこれ 370 「行政も頑張る、住民も頑張る。でも、それでも守り切れない事態がある」

完成したばかりの輪中だというのに想定外の降り方で浸水したという理不尽さに、被災された方々もそうだけれど治水に携わってきた方々のお気持ちもいかばかりでしょうか。

 

戸沢村の輪中を検索していたら「増える豪雨災害、命が失われる前に『守ってもらえる』という発想からの転換を」(ABEMA TIMES)という記事がありました。

今回の水害の記事かと思って読み始めたら2019年11月17日付けで、あの輪中堤建設計画のきっかけになった水害の翌年のものでした。

 

 去年8月6日、山形県を襲った記録的な大雨で、蔵岡地区では全体の8割を超える66世帯が浸水した。ボランティアも駆けつけて復旧作業が進み、日常を取り戻しつつあった31日、再びの大雨で蔵岡地区は再び水に浸かった。

 

 1日目の水害の際に記録された24時間雨量は、この地域で観測史上1位となる336ミリ。それでも住民は、これほどの被害が出るとは予想していなかったという。その理由が、県が約十四億円をかけた水害対策の一つとして排水能力を4倍に強化したポンプの存在だ。しかしポンプはこの日、停電のために動かなかった。

高齢の両親と3人暮らしで、これまで通り2階に避難するつもりだったという斎藤さん。「梅干があるんで、それをとりあえず上げないとダメになる。でも、それをやっている間に、もう一瞬で水が。今までは2時間、3時間だったのが、本当に5分、10分で一気に上がった」。

 

 山形県によれば、この時、決壊の恐れはなかったというが、下流には、かつてないほどの大量の水が流れていたという。「ここから逃げる気はなかったけど、夜中3時ごろから。"上の堤が決壊する"と。あれが破れれば家は絶対に流される。2階にいても無理。だから父親にも"死ぬのと家を離れるのと、どっちがいい"と。"じゃあ、しょうがねえ。逃げるか"って」。(斎藤さん)

 

 住民説明会の模様を収めた音声には「1人とか2人とか死亡者が出て流されたなんてなったら大変だよ、あんたら」「雨が降るたびに不安で不安で、もうあそこに暮らさなきゃいけないのかと思うと不安で不安で私は生きた心地がいたしません」など、怒り、悲しみの声が収められていた。

 

 また、2回目の水害の時には正常に動いたものの、24時間雨量が165ミリを記録し、排水能力を超えてしまった。しかし、国土交通省新庄河川事務所の後藤浩志技術副所長(当時)は、限られた予算の中、今回のような記録的な大雨による被害を防ぐことは難しいと訴える。「確かに、せっかく新しいものをつくって、みんなが期待している中の出水。それが停電というのは、誰だって怒りますよね。ただ、そうはいっても今回の雨については、どうしようもなかったということです」「ちゃんとポンプを稼働して、一生懸命排水作業をして、それでもあれと同じ雨が降ったら、できない、という状況になるのだと思う」。

 

 

▪️「人は自分が災害で死ぬなんて思わない。自分のリスクは理解できない」

 

 戸沢村にとっても、多くの課題が残った。災害が起こることを想定し、発生の72時間前から関係機関や住民は何をなすべきなのかをマニュアル化した行動計画「タイムライン」を活用できなかったのだ。理由は、危機対策担当の職員6人のうち、3人が異動してきたばかりだったからだという。

 

 「マニュアルを一つずつチェックしながらいけばいいわけなんですけど、1年目と2年目の職員しかいないということで、その存在自体を知らなかった」(西嶋洋危機管理室長)。経験不足に加え、深夜の作業で情報収集に手間取り、村が全域に避難勧告を出す40分以上前には、すでに角間沢川は氾濫していたとみられている。

 

 「状況見ていないでしょ」「短時間で水位が上がったということに関して危機管理課では理解していたんですか?していなかったでしょ」。住民説明会に集まった住民たちは、止まっていた不満を西嶋室長らにぶつけた。

 

 

 その後、山形県は蔵岡地区を囲むように「輪中堤」という堤防を造る方針を提案。齋藤さんの家は整備に伴い移転することになった。「ある程度やってもらえば安心は安心できると思います。この堤防から最上川があふれるくらいの水はちょっと考えられない雨の量なんで。よっぽど何か間違いがないかぎりは安心できる」

 

 しかし、あの時、確かに危険は迫っていた。戸沢村渡部秀勝村長も「堤防をどこまでやってもきりがない。これ以上、上げろ上げろと言ってもできるわけがない」と対策の限界を認める

 

 

「この堤防から最上川が溢れるくらいの水はちょっと考えられない雨の量なんで。よっぽど何か間違いがない限りは安心できる」

その数年後に、まさかの最上川本流が溢れたとは。

 

 

 

*それぞれの地域の治水・利水の歴史はどうなのだろう*

 

 長年、防災の取り組みが行政主導で行われてきた状況に警鐘を鳴らすのが、防災教育などに取り組んでいる東京大学大学院の片田敏孝特任教授だ。

「日本の避難は非常に多くのことを行政にゆだねている。危ない場所をなんとかしてくれるのは行政。危ない場所を教えてくれるのは、ハザードマップをくれるのは行政。逃げなきゃいけない時に逃げろと言ってくれるのは、避難勧告を出すのは行政。逃げたら逃げたでお世話をしてくれるのは誰か、それも行政。あなたの命を守ってくれるのは誰かと言ったら、思わず行政と言いがちだ。日本の防災はそれほど行政に大きくゆだねてしまっている。それを断ち切ることだ」。

 

 そして、「自分が災害で死ぬなんて思わない。自分のリスクは理解できない」として、異常事態における人間の心理を次のように指摘する。「人間というのは、堤防ができたりポンプが出来たりと、人為的な安全が確保されれば、とかくそこにゆだねてしまう心が芽生えるもの。それが逃げないという行動になるし、かえって被害を拡大しかねないという危険をはらむ。

(中略)

 住民がとるべき行動を理解しやすいよう、5段階の警戒レベルで発表する取り組みが始まった。戸沢村でも、今回の水害を教訓に、緊急時の職員招集などについての対応を見直すととともに、災害に自ら備える住民意識の向上を訴えている。

 

 「去年、この辺まで水が来て、やっぱり危ないんだなと。今まで安心しすぎたという感じ」、「まだ大丈夫、まだ大丈夫という感じだった。気づいたら水が腰のあたりまで。役場の判断もあるが私だったら自分の判断で逃げる。自分の命は自分で守った方が良いとつくづく思った」と、認識を改めた住民もいるようだ。

 

 「行政が守る人、住民は守ってもらう人という位置付けだった。それは間違い。もうそんなことは言っていられない。行政も頑張る、住民も頑張る。でも、それでも守りきれない事態がある。だからこそ両者が一緒になって災害に向かいあえるような地域社会をつくっていかなければならない」(片田氏)。

 

 今年も大雨特別警報が発令された。命が失われる前に、自らも行動するという、防災意識への転換が求められている。

(強調は引用者による)

 

 

「行政が守る人、住民は守ってもらう人という位置付けだった。それは間違い」

防災教育という視点からはそう見えるかもしれないのですが、そこで生活してきた人は自らが用水管理もして地域を守ってきた方々でしょうし、あまりの理不尽さが続いたことへのやり場のない気持ちをぶつけたのではないかと想像しました。

 

昨年、庄内平野を流れる最上川と赤川流域を歩いたのですが、強い川風が印象に残りました。

水の不足しやすい地域を17世紀から米どころにしてきた歴史繰り返し暴れる赤川との闘いから美田にした歴史に圧倒されました。

 

その前年は、東北から北陸にかけて「経験したことがない大雨」で広範囲に甚大な被害が出ました。

 

人生も数十年を過ぎると理不尽なとか未曾有のといったことに遭遇することが増え、でもやはり歯を食いしばって、その地域を守りあるいはその仕事を全うしようとする人たちがいるからこの社会が維持されてきたのだと思えるようになりました。

 

そしてその理不尽さに直面した時のやり場のない気持ちという葛藤から、長い年月をかけてまた社会を造る。

なんと忍耐強いことでしょうか。

 

 

 

 

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