落ち着いた街 56 飛鳥川の氾濫原にできた街と環濠集落

島の山古墳と周濠はイメージしていたより大きな古墳でした。改めて地図を見直すと、やはり大きいですね。300×200mぐらいはあるでしょうか。

周濠の水面というのは、なんだか見ているだけで圧倒されます。

 

ここから目的地の白米寺へは直線距離で2kmぐらいですが、途中、水田地帯があるのでジグザクと歩きます。

 

島の山古墳から北東へ住宅地を歩き始めると、寺川への下り坂になる手前にまた案内板がありました。

川西町 町・村の歴史  ①大字 梅戸(うめど)

 梅戸は、その昔寺川と飛鳥川の氾濫原にできた集落である。

聖徳太子が隋(中国)より来日した使者を飛鳥から法隆寺へ案内した途中、休憩した場所に梅の花が咲きほこっていたことから、「梅その」と呼ばれ、それが転訛し、「梅戸」と呼ぶようになったと伝えられている。

 ここから西へ100メートルほど行くと西光寺があり、本堂には阿弥陀如来像が安置されている。

江戸時代には、村人により僧侶の学問所である「惣道場」が建てられた。

 西光寺には、明治時代の初めまで好文館(学校)が併設されていた。

子どもたちの教育に対する村人の熱の入れようが、伝わってくる。

 大和磯城ライオンズクラブ贈 平成23年10月9日

いつ頃のものか、この地域の古地図も載っています。

 

聖徳太子の時代から明治まで、自分が生活する場所とはどんなところなのかを知る機会があるのはうらやましいですね。

地形を正確に知り、史実と付き合わせていく。偽りやいい加減なことを教えれば、必ずどこかで辻褄が合わなくなりそうですからね。

 

予定外で計画を変更して歩いたというのに、なんと学ぶことのおおいところでしょうか。

 

 

 

*地図にはない、これまた予定外の「環濠集落」*

 

寺川を渡ると、古い木壁の家が残っている地域になりました。

計画変更したのでどこをどう歩くか全く準備していたなかったのですが、白米寺の方向を目指して歩いてみました。

こんな時には、より蛇行している道や水路のそばを選ぶとだいたい正解ですね。

 

住宅地に残る水路沿いには畑があり、木の香りがする家があります。

ふと水路の幅が広くなり、石垣のあるお城のような場所に出ました。

 

環濠集落

 中世の乱世では、村落が自衛手段として濠をめぐらせた「環濠集落」が発達しました。県内には80余りの分布がありますが、盆地の周辺部よりは標高60メートル以下の低湿地に多く見られます。

 形態としては、村落全体を濠で囲むもの、内部が複雑で小規模な平城的なもの、個人の家屋に濠を巡らせたものです。

 ここ川西町の井戸、南吐田の大字にみられるものは、個人の家屋に濠をめぐらせたものです。

 最近は、自衛の必要がなくなり次第に埋められつつあるものが多く、農業用水として利用されている集落は原形を保っています。

               川西町教育委員会

 

地図で見つけられた環濠集落はほんの2~3箇所だったのに、まだまだあるのですね。

「最近は、自衛の必要がなくなり」の「最近」とはいつ頃のことでしょう。

 

ふらりと歩いただけで中世からの遺構が何気なく残っているのですから、ほんとかないませんね。

なんだかふわりとめまいのような感じで歩いていると焼杉壁からまた良い香りがして、大好きな黄色のフリージアが咲いていました。最近はお花屋さんや近所でも見かけることが少なくなったのですが、花のはやりすたりが少ないのも落ち着いた街だと思う一つですね。

 

 

微高地の住宅地が途切れたところから、遠くの大和川の堤防まで広大な水田地帯が広がっています。

4月中旬、まだようやく田おこしが終わったくらいでしたが、田んぼの中の道を歩くのは本当に楽しいものです。

これから水路に滔々と水が流れる前の準備でしょうか、初夏のような陽射しの中で水路をさらえている方がいました。

 

遠くに近鉄線が走り、その向こうに見える竹林が目指す白米寺のようです。

 

 

 

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