行間を読む 215 坂根堰の石碑

ゴールデンウィークが明けた直後、JRの閑散期に岡山へ出かけました。

品川駅の新幹線の改札を入ると、前髪にカーラーを巻いた若い女性が歩いていました。

何でもありの時代ですね。ちょっとシュールな気分になりましたが、まあ車窓の風景に集中しましょう。

 

今回E席にした理由は、あの田んぼの畦道がくの字に曲がる不思議な場所を見逃さないためです。

相模川を渡ってあっという間に、その2週間ほど前に立って新幹線を眺めた場所が見えて満足しました。

その後は日々の疲れもあって途中何度も寝落ちしてしまったのですが、不思議なのは川に差し掛かるとハッと目が覚めることでした。

まるで新幹線の速さのデータが体の中にあるかのようですね。

 

3月にはまだ青々していた滋賀県の麦麦秋を迎え、田んぼは水鏡になっていました。

いつ見ても美しい滋賀県の風景に、また歩きたくなってきました。

 

新幹線の車窓の散歩の3時間ほどはあっという間に過ぎ、大池の上を通過するとじきに吉井川です。

いったん通過して岡山駅赤穂線で東へと戻り、1時間後にはあの車窓に見える風景を歩きます。

 

 

香登(かがと)駅から水路沿いに坂根用水堰へ*

 

岡山駅で荷物をロッカーに入れ、身軽になって赤穂線に乗りました。今回も用水路沿いや干拓地をどこまで歩けるかという無謀な計画になりそうですからね。

 

10時ちょうどに赤穂線香登(かがと)駅で下車しました。少し離れたところに山陽新幹線の高架橋が通っていて、その北側の道を高架橋に沿って歩きました。

「656km」と橋桁に表示があります。わずか4時間でこれだけの距離を旅してきたのですから、ほんと夢のような時代ですね。

 

山の斜面の水道施設のタンクやため池の天堤を見ながら西へと歩くと、用水路が見えてきました。

坂根堰の左岸がわの大用水路です。

幅数メートルくらいでしょうか、水深は浅そうですが相当な水が流れているのがわかりました。

吉井川と大用水路の間には、これから水が入る準備が終わった田んぼが続いています。

その向こうに山陽新幹線が通過していきました。

 

水面はゆったりとした大用水路沿いに歩くと坂根地区へと入り、さらに水路沿いに歩くと吉井川の堤防へと緩やかな上り坂になって、大用水路も暗渠になりました。

 

いよいよ、あの新幹線の車窓から見えた美しい吉井川と堰です。

堤防沿いの道に出ると、目の前に坂根堰が見えました。

 

*国営吉井川農業水利事業計画の記念碑*

 

堰の手前に「坂根揚水施設」があり、何か石碑がありました。

 大流吉井川も一たび渇水に見舞われるや 各井堰の取水口では土俵を積み ポンプの列を敷き 老若男女総出で必死の水替えが夜に日を徹して行われた これが地域農民が繰り返してきた 水との闘いであった

 この旱魃障害を打開すべく昭和三十四年十月関係市町村相諮り 吉井川下流総合開発事業期成同盟会を結成して抜本的対策事業の実現に乗り出し 強力な運動を展開した結果 昭和三十九年四月 農林省中国四国農政局に於いて調査計画が開始され

 岡山市 備前市 和氣町 熊山町 

 瀬戸町 長船町 邑久町 牛窓町

の二市六町に跨る水田と田畑を合わせた約七千陌を対象に国営吉井川農業水利事業計画を決定し 昭和四十六年十月工事に着工した

 爾来 農業土木技術の粋を集め十八ヶ年の歳月と三百五十億円余の巨費を投じて 世紀の大事業が完工した

 本事業によって築造された諸施設は 先祖代々に亘る水との闘いを集結させ新田原井堰と坂根合同堰に貯溜される四百万立方米の水は関係農家の大きな安らぎとなろう

 茲に国営事業の完工に当たり 記念碑を建立してこれを後世に伝えるものである

    昭和六十三年十月吉日  吉井川下流土地改良区

     理事長   小林 毅

 

私が生まれる少し前までは吉井川沿いは渇水で水との闘いだった地域が、私が幼児の頃に立てられた計画によってこの坂根合同堰が造られ始めたようです。

ということは、山陽新幹線が岡山まで開業した直後に乗った頃はまだこの堰は車窓から見えず、1990年代に久しぶりに乗った時には完成直後だったようです。

 

この受益地域の風景も農業も驚異的に変化した時代を車窓からみていたはずなのに、記憶にないことがほんとうにもったいないことをしました。

それでも、この石碑を読むことができただけでも訪ねた甲斐がありました。

 

石碑の歴史に圧倒されてしばらく立ちすくんでいたら、対岸から地元の女性がやってきました。現地に来るまでは堤防の上を歩いて対岸へ行けるかわからなかったのですが、歩くことが可能なようです。

 

ダメだったら大用水路沿いに左岸側の水田地帯を歩く予定でしたが、せっかくなので吉井川を渡ることにしましょう。

どんな風景でしょうか。

 

 

*おまけ*

 

もう一つそばに「興農之源」と彫られた石碑がありました。「内閣総理大臣 竹下 登書」と書かれています。

それまでは自分が生きてきた時代の首相の人となりにはほとんど関心がなかったのですが、あの日以来、必ずWikipedidaを読み返してどんな時代だったのか、どんな事件や人間関係があったのか確認するようになりました。

 

 

 

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