「帯に短し襷に流し」
帯(おび)はまだわかるものの、もうじき高齢者の仲間入りをする私でも「襷」はふりがながないとピンとこないし実際に使ったこともありません。
でも、やはり子どもの頃から耳にしていた諺というのは生きている言葉ですね。
一政党の選挙運動の話題にあきれる毎日からようやく解放されると思ったら、今度は突如、衆院議員選挙だそうです。
しかも、「問題を先送りできない」と滑っと責任を逃れながら次々と物事を勝手に決めていた前首相がすでに画策していた日程だとか、非公認でも当選したらまた元のさやに戻れるとか、もう何が何だかの世界ですね。
ポストにたくさん、選挙用のチラシが入り始めました。
ニュースでは消費税への反対を掲げている政党はあるものの、この選挙前のチラシでは消費税についてもマイナンバーカードの見直しについても書かれていないことにびっくり。
統一教会の問題と政治資金の問題に加えて、この二つへの疑問の声が自民党を変えさせる大きなきっかけになっていると思うのに。
なぜか正面から論点にしない。
まだ全ての政党のチラシが入ってきたわけではないのですが、消費税やマイナンバーカードについて反対意見が書かれていたのはこの未曾有の感染症という、人々の不安が共鳴しあって思わぬ方向へと社会を動かしていった機会を利用したように見える政党でしたから、ああ惜しいという感じ。
まあ自民党でも反ワクチンや反マスクそして陰謀論に近づく議員さんがいましたけれど。
ほんと政党というのはねじれていますね。
せっかく良さそうな主張をしても、そのイデオロギーの強さが仇になるというか。
「帯に短し襷に長し」
中途半端で役に立たないことのたとえ(goo辞書)
消費税が10%になってから、年間の消費税は十数万円ほどになっています。
内税である交通費の分も足したら、すごい額になりそうです。
十数万円なら、支給予定の年金の1ヶ月分よりはるかに多い額ではないですか。
消費税は福祉目的税として導入する話はどこへいったのだろう。
消費税を見直せば、消費税を多く徴収したから所得税減税で戻すなんて目眩しのことをしなくてもいいのに。
高齢者や低所得層にも、そしてどの人にも確実な収入増加になるのに。
ほとんどの政党が不自然なほど消費税の議論を避けるのはなぜだろう。
選挙の時だけほんのちょっと触れておしまい。
真面目に働いた人から搾りとることに無頓着なのが、今の経済の雰囲気なのでしょうね。
生活の中からの問題提起も、政党の対立で揉み消されていくのであれば、政党政治というのはほんと「帯に短し襷に長し」ですね。
ああ、そうか、やはり生活が成り立たない国でも国民は守ろうとしているのに政治家で居続けたい人のためのシステムだからですね。
政治ってなんだろう、政党ってなんだろう、政治家ってなんだろう。
*今の時代が顧みられるのは半世紀後か*
今年のノーベル経済賞が植民地主義の搾取についての研究だと、テレビから聞こえてきました。
1980年代、豊かになっていった日本では片手で援助、片手で搾取と言われてもぴんとこない時代でしたが、世界中でその事実を考え続けてくださった方々によってようやく半世紀後にこうして研究となって世の中を動かし始めるのですね。
そして経済学とは仮説をそのまま社会に実験して、社会に与えた影響に責任をとる仕組みがないのかと思っていたのですが、少し希望の光が見えました。
植民地主義から新植民地主義そして新しい資本主義への流れを見失わずに、搾取されることのない社会へ政策を考えている人は誰だろう。
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