2021年ごろはまだ海城という言葉さえ知らなかったのですが、川や干拓地を歩くようになって海城や水城に遭遇するようになり関心がでてきました。
私の場合、武将の歴史よりは「その堀や城の水はどこからきたのか」ということなのですけれど。
地図を眺めていて気になっていた今治城の美しい堀が目の前にあります。
日本屈指の海城(うみじろ) 今治城
今治城は、江戸時代のはじめ頃、築城の名手、藤堂高虎が瀬戸内海に面した海岸に築いた名城です。軟弱な地盤(砂浜)にも関わらず、伊予半国(現在の愛媛県の約半分)20万石の大名にふさわしい城郭を技術の粋を結集して築き上げ、高虎の代表作となりました。広大な城郭とその城下町は、その後の今治市の発展の基礎となりました。
今治城の特徴は、広大な水堀と高い石垣です。全国的にも大変珍しい海水を引き入れた海岸平城(ひらじろ9で、日本三大水城(みずじろ)の一つに数えられています。堀は潮の干満で水位が変わり、海の魚の泳ぐ姿を見ることができます。
現在の天守は、昭和55年(1980)に市制60周年を記念して再建されたもので、内部は歴史史料館と自然科学館になっており、最上階からは市街地や瀬戸内海の島々、西日本一の高さを誇る石鎚山などが眺望できます。
また、御金櫓(おかねやぐら)は郷土美術館、山里櫓(やまざとやぐら)は古美術館になっており、鉄御門(くろがねごもん)・武具櫓(ぶぐやぐら)は木造の復元建物として内部公開しています。
真っ青な夏空に浮かぶ白い雲と、遠くに見える山なみと、そして美しい石垣と広い堀の水面。
今写真を見返しても、ため息が出る優雅な姿でした。
*美しい水路と小さな記念碑*
もっと今治市内を歩いてみたいと思ったのですが、さすがに35度を超えて危険な気温です。
木陰は涼しいのですが、歩くと朦朧としてきそうです。
水路をたどって駅の方へと戻ることにしました。ホテルのそばに小さな水路に遊歩道が整備されていて、のぞき込むと美しい水で小さな魚が泳いでいます。
どこから来る水路でしょう。かつてはこのあたりも田んぼだったのだろうかと思いながら、しばらくその水路沿いを歩いていると、総合福祉センターの木のそばに小さな石碑がありました。
建設記念碑
人々がたすけあい
互いに手をたずさえ
幸せになることこそ
福祉の道であり
その起点がここにある
果てしなく続くこの道を
あなたも わたしも
ともに歩もう
これは福祉センター建設
のいしづえをなした
故日野福松氏夫人 シゲル
さんをはじめ
日本自転車振興会 市当局
ならびに市民の多大の協力
により建設したものである
昭和四十九年四月一日
朦朧としながら歩いていたのに、この文章に思わず泣きそうになりました。
ごく最近建てられたかのように石面が輝いている石碑でしたが、1974(昭和49)年ですからちょうど半世紀前のものでした。
私が中学生の頃、こうして人類の為からさらに福祉の実現へと大きく動き始めた時代だったのですね。
今治城が建った17世紀初頭の人たちからは想像もしない社会が、長い時間と葛藤を超えて具現化した。
一世紀後も何世紀後も、この石碑が遺っていますように。
ゆったりとした住宅地を抜けて、今治駅へと戻りました。
いつか、暑くない日にもう一度歩いてみたいものです。
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