鵺(ぬえ)のような 29 ボタンの掛け違いのタイミング

河原津新田からホテルへ戻ったのは13時半でした。

いつもなら「これからもっと歩くぞ!」という時間なのですが、夕方のニュースではこの日の西条市は最高気温36.4度と告げていましたから、ホテルに避難して正解でした。

ただ、翌日は朝早くに西条市を発つので、十河信二記念館は今回は諦めることになりました。

 

でもやり残した宿題が多ければ多いほど、また訪ねようと思いますからね。

 

こんな時にはこの地域のわかる番組を観ようとテレビをつけると、NHKのこころの旅は明日香から藤原宮でした。山を見ただけでどこかがわかって、また奈良へ誘われます。

番組では「小房の桜並木、戦中戦後は焚き火で切られてしまった」「中学生の頃、2メートルの木を植えた」という方のコスタリカからの手紙が紹介されていました。

2022年に84歳ということですが、どのような移民の背景があった時代を生きてこられたのでしょう。

 

 

*謝罪の難しさから四半世紀*

 

そんなことを考えていたら、ハワイの大学生が宇和島水産高校を訪問し、日本移民がハワイに伝えた漁法について大学生の話の後、慰霊碑に献花したことが伝えられていました。

 

3年ほど前に「米原潜ワドル元艦長の公開書簡」で、「『謝罪』の代わりに『遺憾の意』が使われていることに疑問を感じながらも、それがふわさしい言葉だと言われ、そのままにしてしまった」ことがその後、ご遺族の怒りと心の痛みを深めたのではないかと最初の対応によって気持ちのボタンの掛け違いがどんどんとひどくなることに苦しみ続けていたことを知りました。

 

そして事故当時はまだ生まれていなかった大学生の皆さんと宇和島水産高校の皆さんが、四半世紀を超えてこの事故について何か想いを引き継いでいるようです。

 

政治的な意図でボタンの掛け違いが起こること、そこからさまざまな反発や敵視といった気持ちが延々と続くことは歴史の中でたくさんあるものだと思うようになりましたが、それを教訓に変えていくのはやはりお互いの生活を知り根気よく理解しようとするしかないのかもしれませんね。

もしワドル氏が日本で暮らした経験がなかったらそして両方の生活の視点での葛藤に向き合わなかったら、風化していた可能性もあるかもしれない。ふとそんなことを思いました。

 

夕方、燧(ひうち)灘は水面が鏡のように反射しています。海風がある時間帯もいつも凪のように静かです。次第に工場の明かりが煌びやかになってきました

ここから瀬戸内海を通って伊予灘に抜け、豊後水道のあたりから宇和海です。

たくさんの船乗りを目指す人たち、海のそばで働く人たちに事故がありませんようにと思いながら2日目が終わりました。

 

 

*謝罪も責任もとらない社会になってしまった*

 

3日目は新居浜までバスで海岸線を見て、高松へ移動します。

水のあふれる伊予四条に後ろ髪を引かれる思いですが、出発の準備をしましょう。

 

テレビから裏金国会議員不起訴のニュースが流れてきました。

国会の審議が終わり都知事選や補選が終わったタイミングに、と感じました。

 

どこかの診療所が「マイナ保険証」切り替えをきっかけに廃業を決めたニュースがあり、こんなメモをしながら聞いていました。

「あと数年ぐらいは主治医だと思っていたのに、地震で大変なあとからコロナの感染リスクの高い診療科でも住民を見続けてきてくださった」

同じ思いの患者さんが、来院のたびに思いを告げられる。

地域の医療を守ってきた熟練の世代の先生方からハシゴを外した。しかも「高齢」とか「ITに疎い」といった誤った印象までつけて貶めてしまった。

引き返すタイミングがあったはずなのに、欠陥のある決定を見直すこともしなかったし、誰もこの失敗に責任を取ろうともしなかった。

 

そしてそのボタンの掛け違いをそのままにした結果が、3ヶ月後の衆議院議員選挙だったことも認めない。

 

やはり政治や経済にはリスクマネージメントは理解できない世界なのかもしれませんね。

 

ああ、そういえば四半世紀前のこの重大事故当日に日本の首相はゴルフをし続けたのですから、こんな社会になる予兆はあったのかもしれません。

 

 

 

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