また散歩の記録がとびとびになってしまいましたが、庶民の生活の声の記録ですから寄り道が多くなりますね。
散歩の3日目は、水のあふれる伊予西条から水を得られずため池と吉野川からの香川用水によって農地を作り上げてきた香川県へと移動します。
西条から新居浜までは、今治から新居浜を結ぶバス路線が海岸線を通るようです。
燧灘沿岸の埋立地が「ひうち」という地名で、今治造船所もあるようです。
その内側が船屋地区で、水色の線に囲まれた水田地帯があるので、この辺りも干拓地の可能性があります。
そこまで歩いてみることにしました。
8時20分、28度でしたが薄曇りなのでまだそれほど暑くありません。
*ひうちから船屋地区へ*
途中、水路沿いが御舟川緑道として整備されていて、地元の会社の方々でしょうか、掃除をされていました。
市の職員ではなさそうです。
しばらく歩くと「伊予路もみんなで美しく この道路は西条造園事業組合有志の強力により、維持管理されています」という看板がありました。
県道13号線の両側には田んぼが残り、南側には石鎚山をはじめとした山並みが美しく、北側は沿岸の今治造船との境界に田んぼが残っています。
田植えからまだそれほど経っていないのでしょうか、10センチほどの稲の間にまだ水鏡が残り、そこに朱色の大きな「今治造船」のドッグの鉄柱が映って見えました。
交通量の多い産業道路ですが、広々と空が見え美しい田園地帯もあるので意外に疲れることもなく、渦井川まできました。
この川の向こうが船屋地区です。ほんのりと潮の香りがしてきました。
川を渡り堤防の上の道路に入りました。内側に水路があり水はきれいです。
産業道路を歩いているときには見えなかったのですが、渦井川左岸には美しい瓦屋根の古い家々が立ち並んでいて、その向こうに今治造船の造船所が見えました。「新田」地区です。
右岸の堤防の上を歩いていると森のような場所が近づき、一段低い場所へと参道が降りて碇神社がありました。水の神様でしょうか、それとも船の神様でしょうか。御由緒は見当たりませんでした。
そのあたりから堤防は弧を描くように東へと曲がり、ひうち大橋と造船所が近くに見え、中洲にアオサギがたくさんいてその向こうに燧灘が見えます。
こちらの堤防の内側は水田や落ち着いた集落になりました。
*船屋地区から新居浜へ*
犬を連れて散歩をしている方とすれ違いました。こんなに静かで美しい海のそばの朝の時間がうらやましいなと思いながら歩いていると、水門と何か石碑が見えました。
「西条市船屋ポンプ場建設において尽力された方々の功績を讃える」と2年前に建てられた頌徳碑(しょうとくひ)で、7名ほどの名前が刻まれていました。
その隣に、「船屋干拓水利建之」と彫られた石柱がありました。
やはり干拓地だったようです。
船屋地区の中の畑のある蛇行した道沿いにバス停に向かいました。
バス到着まであと20分あるので立って待つのはつらいなと思ったら、なんと可愛らしいベンチがありました。地元の方が通りかかったので軽く会釈すると「暑かろう」と声をかけていかれました。なんだか倉敷の祖母を思い出すような話し方でした。
14分遅れでバスが到着。昨日も河原津新田への往復に利用した今治と新居浜を結ぶ路線ですが、案外と乗客が乗っています。出勤でしょうか。
ぐいっと工場の多い地域へと入りました。船が解体されたものがある広い敷地も今治造船のようです。
船を造るだけでなくそれを解体し、また何かを造り上げる仕事もあるのですね。何にしても一生をかけながらの仕事ですね。
東へと行くに従って埋立地は住友系列の工場になり、ホテルのような住友別子病院に立ち寄りました。
新居浜の南側、衝立のような中央構造線の山端に別子銅山記念館があったのを地図で見たことを思い出しました。また知らない世界が出てきました。
新居浜の水はどこから得ているのだろうと思っているうちに、9時56分JR新居浜駅に到着しました。
駅前の案内地図を眺めていたら、中央構造線の近くを歩いてみたくなりました。
困りましたね。
後ろ髪を引かれながら、10時27分特急いしづち高松行きに乗りました。
車両を間違えると坂出ではなく切り離されて岡山へ行ってしまいますから緊張しましたが、改札で特急の乗り場を教えてくださったので助かりました。
特急「いしづち」号。
これからはあの美しい山並みと湧水の記憶が一緒に思い出されそうです。
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